バカボン鬼塚
[Wikipedia|▼Menu]

ばかぼん おにづか
バカボン鬼塚
本名鬼塚 公仁
生年月日 (1963-05-11)
1963年5月11日(61歳)
出生地 日本静岡県清水市
(現:静岡市清水区
身長163cm
血液型O型
ジャンルラジオパーソナリティ
ナレーター
ミュージシャン
俳優
事務所大沢事務所ヘリンボーン→foh piece
テンプレートを表示

バカボン鬼塚(バカボン おにづか[1] 1963年5月11日[1] - )は、ラジオパーソナリティナレーターミュージシャン俳優。本名は鬼塚 公仁(おにづか きみひと)。foh piece所属。愛称は「鬼ちゃん」「おに氏」など。
来歴

静岡県清水市(現:静岡市清水区出身。東海大学第一高等学校(現東海大学付属静岡翔洋高等学校)、東海大学文学部卒業。

大学時代は落語研究会に在籍しており、高座名は「頭下位亭きんぴら(とうかいてい-)」。これはOBである春風亭昇太が訪問した際につけられた。ちなみに昇太はもう一人に「頭下位亭ごぼう」と名づけた。

大学在学中からメディア関係の仕事をしていたが、卒業した頃は舞台俳優を目指し、劇団青年座の研究所で芝居の勉強をしていた。当時は体を鍛えていたため筋肉質の体型だったが、訓練をやめてしばらくした後、風呂に足を入れようとしている自らの体を鏡で見た際、「たれに入れる寸前の烏賊飯のイカ」のようになっていたという。これを本人は「いかめし事件」と語っている。

その後シャ・ラ・ラ・カンパニーに入社し、番組制作に携わった(放送作家ディレクター[注 1]クリス・ペプラーナビゲーターを務めるJ-WAVEの看板番組『TOKIO HOT 100』にて番組ADを務め、(当時のディレクターはピストン西沢[2]) 後に喋り手に転向した。この経験から、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組では、練った企画やリスナーの身近な話題をもとにした企画を特徴とするものが多い。

また同じ頃、東京・渋谷大道具アルバイトをしていたことがあり、そこできっくん(菊池淳介)と出会っている[注 2]。ただし、菊池との出会いについては「かかしのブログ[3]」の「かかしロングインタビュー『かかしの歴史 vol.1(前)』[4]」には、「シャ・ラ・ラ・カンパニーの忘年会で同僚として出会った」という旨の記述もある。

2017年4月より、活動の拠点を東京から出身地である静岡県に移す。当初は月 - 木曜日にK-MIX浜松の本社スタジオ)の帯番組、土曜日に埼玉県大宮に赴いてNACK5の番組(生放送・収録)を担当していた。

2021年4月5日、ラジオ番組「FAV FOUR」の初回にて、同年2月に再婚していたことが本人より語られた。

2023年4月現在、週5日間・計19時間もの生放送を関東・中部地方の1都3県4ヶ所のスタジオで務めている。また、それらのラジオ番組出演と並行して、テレビ番組やコマーシャルのナレーション、ライブ、イベント出演等も関東滞在中にこなしている。

月曜夜:東京・銀座にあるNACK5 銀座スタジオ

水・木曜夕:静岡市にあるK-MIX 新静岡セノバのサテライトスタジオ

金曜夕:松本市にあるFM長野 本社スタジオ

土曜昼:さいたま市にあるNACK5 アルシェ大宮のサテライトスタジオ

歌手活動

1992年にラジオ制作会社の同僚であった菊池・村上雄信と共にかかしを結成。

2008年に村上とキンモクセイの後藤・白井・張替との5人でYOUNGER GENERATIONを結成。

ソロ活動は「B.O.K.」(「バカボン鬼塚公仁(Bakabon Oniduka Kimihito)」のイニシャル)名義で2011年に開始。当初は1stアルバム「O.S.T」限りで終了予定だったが、反響が大きかったため現在はバンドとして活動。メンバーはバカボン鬼塚(Vo.&Gt.)・村上雄信(Gt.)・白井雄介(Ba.、ex. キンモクセイ)・田中大介(Key.、ex. COOL DRIVE)・杉原正太(Dr.)の5人。

他にも村上との2人で「おーさんむーさん」として活動、主にB.O.K.の楽曲をアレンジして演奏する。さらに『K-mix FOOO NIGHT ピンソバ』で共演した元K-mixアナウンサー高橋茉奈を加え、3人で「OMM」(「Oniduka, Murakami, Mana」のイニシャル、読みは「オム」)としても活動、オリジナル曲も存在する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef