バイロイト辺境伯歌劇場
情報
正式名称辺境伯歌劇場
(Markgrafliches Opernhaus)
完成1748年
開館1747年
開館公演ヨハン・アドルフ・ハッセ作のオペラ[1]
客席数450[注釈 1]
用途オペラ公演
所在地〒95444
Opernstr. 14, Bayreuth
位置北緯49度56分40秒 東経11度34分43秒 / 北緯49.94444度 東経11.57861度 / 49.94444; 11.57861
バイロイト辺境伯歌劇場(バイロイトへんきょうはくかげきじょう)ないし辺境伯歌劇場 (ドイツ語: Markgrafliches Opernhaus) は、ドイツ・バイエルン州の都市バイロイトにある18世紀に建てられた歌劇場である。バロック様式の傑出した美しさを持つ歌劇場というだけでなく、当時の要素のほとんどがそのまま伝わっている稀有な例として、2012年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。また、リヒャルト・ワーグナーが自らの祝祭劇場をバイロイトの地に建てるきっかけとなった歌劇場でもある。
目次
1 概要
2 世界遺産
2.1 登録名
2.2 登録基準
3 脚注
3.1 注釈
3.2 出典
4 参考文献
5 関連項目
概要 工事中の辺境伯歌劇場(2013年)
この歌劇場は、プロイセンのフリードリヒ大王の姉にして、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世_の妻であったヴィルヘルミーネの希望で建てられた[2]。工事は1745年[注釈 2]に始まり、一応の完成は1748年、外観がきちんと整ったのは1750年のことであった[2]。完成を待たずに、1747年にヴィルヘルミーネの娘の結婚を祝って、こけら落としが行われている[1]。
歌劇場は間口30.8 m、奥行き71.5 m、高さ26.2 m で[3]、当時のドイツでは最大規模の歌劇場であった[1]。外観を手がけたのはジョゼフ・サン=ピエール(ドイツ語版)、内装を手がけたのはジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナ(英語版)である[3]。現在では「現存するバロック様式の劇場としては最も美しいもののひとつ」[4]、「ヨーロッパで最も美しいバロック劇場のひとつ」[5]などと評価されている。
完成から100年以上を経たころ、それは百科事典にも掲載されており、その記述がリヒャルト・ワーグナーの目に留まった[1][6]。ワーグナーはかねてより、自作のオペラ『ニーベルングの指環』を上演するのにふさわしい歌劇場を求めており、辺境伯歌劇場がその要求を満たすのではないかと考えたのである。1871年4月16日に、妻のコジマを伴ってバイロイトを訪問したワーグナーは、辺境伯歌劇場が自身の希望を満たすものでないことを認識したが、これが翌年、バイロイトに腰を落ち着け、自身の祝祭劇場を建設するきっかけとなった[6][7]。