バイユー
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この項目では、フランスの都市バイユー(Bayeux)について説明しています。アメリカ南部の地理バイユー(bayou)については「バイユー (地形)」をご覧ください。

Bayeux



行政
フランス
地域圏 (Region)ノルマンディー地域圏
(departement)カルヴァドス県
(arrondissement)バイユー郡
小郡 (canton)バイユー小郡
INSEEコード14047
郵便番号14400
市長任期)パトリック・ゴモン
2014年-2020年
自治体間連合 (fr)fr:Communaute de communes de Bayeux Intercom
人口動態
人口13,121人
2017年
人口密度1845人/km2
住民の呼称Bajocasses/Bayeusains
地理
座標北緯49度16分46秒 西経0度42分10秒 / 北緯49.279445度 西経0.702778度 / 49.279445; -0.702778座標: 北緯49度16分46秒 西経0度42分10秒 / 北緯49.279445度 西経0.702778度 / 49.279445; -0.702778
標高平均:50 m
最低:32 m
最高:67 m
面積7.11km2 (711ha)
Bayeux
公式サイトwww.bayeux.fr
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バイユー (Bayeux、発音bajo[1])は、フランスノルマンディー地域圏カルヴァドス県コミューン

4世紀以降司教座が置かれ、県の郡庁所在地であるバイユーは、ウィリアム征服王ノルマン・コンクエストを刺繍で表したバイユーのタペストリーで有名である。

オーヴァーロード作戦の時、連合国軍が上陸した海岸から数キロ内陸にあるベッサン地方の主都バイユーは、作戦によって解放された最初の主要都市である。ノルマンディーの戦い後も古くからの状態で戦禍を逃れたまれなノルマンディーの町であり、豊かな建築遺産・文化遺産を保持している。目次

1 地理

1.1 交通

1.2 気候


2 都市計画

2.1 公園と緑地


3 由来

4 歴史

4.1 ガロ=ローマ時代

4.2 古代後期

4.3 ノルマン人時代

4.4 百年戦争

4.5 宗教都市

4.6 応用芸術

4.7 現代


5 政治

6 人口統計

7 生活

7.1 教育

7.2 信仰


8 史跡

9 文化

9.1 美食


10 姉妹都市

11 脚注

地理 コミューンの地図

バイユーは、イギリス海峡の海岸から7km、カーンの西30kmにある。海抜は32mから67m、平均は46mであり、市街をオール川が横切る。町は、パリ-カーン-シェルブール間を走る国道13号線および鉄道路線の軸上にある。県北西部、ベッサン地方の主都である。
交通

バイユー駅は、パリ・サン・ラザール駅-シェルブール線と、TERカーン-レンヌ線が停車する。

バス路線を運営するBybus社は、主要路線でバイユーと隣接コミューン、サン・マルタン・デザントレとサン=ヴィゴール=ル=グランに、ショイニス/サン・マルタン・デザントレ方面と3つの地区にサービスを提供している。県が設置したBus vertは、近隣コミューンへのアクセスを提供している。市内中心部にある約3000か所の駐車スペースは、ほとんどのスペースが簡単に駐車でき、無料である。バイパスはバイユー環状道路である。市中心部の通りは、戦車が通過するには狭すぎたため、イギリス軍の上陸後に最初の部分が建設された。高速道路基準に準拠してバイユーの道路が転換されるまで、バイパスは国道13号線を延長していた。

サイクリング網は非常に限定されているが、改善が計画されている[2]

最寄りの空港は、21km離れたカーン・カルピケ空港である。イギリスに向けた海上輸送は、カーン=ウイストラム港-ポーツマス港ラインである。

バイユーは、ナポレオン3世によって1858年に完成したパリ-シェルブール鉄道路線が通っていた。1899年以降、バイユーにはカルヴァドス鉄道会社によってポルタン・ベッサンやクルスル・シュル・メールを結ぶ地元鉄道が運行していた。この路線は1904年にバレロワまで延長された。路線は1931年と1932年に格下げされた。
気候

下の表は、2007年の気温と降水量を示している。

月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
平均最高気温 (°C)10,111,111,81717,320,121,32119,315,311,57,9
平均最低気温 (°C)4,75,53,56,39,411,512,912,610,37,35,21,9
平均気温 (°C)7,48,37,611,613,315,817,116,814,811,38,34,9
平均降水量 (mm)4583902391831354956394481
Source: Meteo France
[3]

都市計画

コミューンにある6900戸の住宅のうち、個人住宅は2900戸である[4].。バイユーには地域内で42%の公営住宅があり、そのうち80%がアパートである[5]
公園と緑地

コミューンは、花のまちコンクールで3つ花を獲得している[6]

2.6ヘクタールの公立公園は1864年にオープンした。この土地は、シャルルマーニュ・ジャン=ドラマ―ルにより園芸教育の庭をつくるため町に与えられたのだが、リヨンのテト・ドール公園の開発者ウジェーヌ・ビュレーによって公立公園として設計された。植物園は当時からほとんど変わっていない。公園、南側の通り、2か所の入り口パヴィリオンが2007年12月から歴史的記念物のリストに入っている。最も有名な木はしだれブナで、天然記念物に指定され、2000年以降『フランスの驚くべき樹木』(fr)のラベルを授与されている。ブナの枝は1250平方メートルの面積をカバーし、金属製フレームで支えられている。

市の中心部にあるシャルル・ド・ゴール広場(かつてのシャトー広場)には、1932年に天然記念物に指定された150本のシナノキが植えられ、多くの文化イベントが開催されている広い芝生を囲む。

リベルテ広場にある自由のプラタナス(革命期に盛んに植樹された自由の木)は、1729年3月29日に革命家たちによって植えられた。天然記念物に指定されており、『フランスの驚くべき樹木』ラベルの恩恵も受けている。

バイユーの戦争記者記念碑は、戦争特派員に対するバイユー・カルヴァドス賞の延長として2006年にオープン、ファビアン・ヴァル大通りにある。設計はサミュエル・クラクランで、1944年以降職務の行使で殺害されたジャーナリストに敬意を表して、毎年新しい石碑が除幕されている。この白い庭は、国境なき記者団とバイユー市が共同で生み出したものである。


公立公園

しだれブナ

戦争記者記念碑のプロムナード

バイユー駅前庭園

由来

地名は、紀元前1世紀にAugustodurumとのつづりで証明されている。400年代にはcivitas Baiocassium、410年代にはBaiocas[7]、1155年にはBaieusであった[8]。かつてはガリア系のバヨカセス族(fr)が本拠地を置き、ローマ帝国時代末期に頻繁に見られたように、部族の名前が都市の名称に移された[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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