バイドア
Baydhabo
?????
都市
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バイドア(ソマリ語: Baydhabo, アラビア語: ?????, 英語: Baidoa) は、ソマリアの都市。ソマリ語ではバイダボという。同国南西部の国境近くに位置し、エチオピアに続く交通・軍事の要衝。首都モガディシュから北西256kmに位置する。人口約80万人。
2002年に独立宣言した南西ソマリアの「首都」とされた。2005年にソマリア暫定連邦政府の首都機能が一時的に置かれた。2006年7月からはエチオピア軍が数千人規模で進駐した。一方、南西ソマリアの大部分を支配下に置いたイスラム法廷会議は、バイドアに対して執拗な攻勢をかけたが、同年12月の攻勢を機にエチオピア軍と戦闘になり、24日からエチオピア軍が本格介入すると、エチオピア軍と暫定政府軍がバイドアを拠点として首都モガディシュへ向け進軍、法廷会議を追撃した。
年間最高気温は29度Cから36度C、最低気温は19度Cから21度C。月間降水量は4月と5月および10月と11月に100mmを超え、それ以外は極端に少ない。 バイドアから約50キロメートル東にあるブール・ヘイベ
歴史
近代まで
16世紀、バイドアはアジュラーン・スルタン国の一部だった。その政策は、エチオピア東部、北部のマレーグ(英語版)、西部のケラフォ(英語版)、南部のキスマヨなどの影響が見られる[3]。
その後、バイドアはゲレディ・スルタン国の一部となった。ゲレディ・スルタン国は1908年にバイドアを含めてイタリア領ソマリランドに編入され、1910年に最後のサルタンが死んで滅亡した[4]。 1960年にソマリアが独立すると、バイドアはバイドア地区
ソマリア独立と内戦
ソマリアでは1990年代に内戦が勃発する。バイドアは1995年9月、内戦初期に力を持っていた軍閥、統一ソマリ会議の支配下となる[5]。
1996年1月、バイドアは別の軍閥ラハンウェイン抵抗軍の支配下となった[6]。1999年にラハンウェイン抵抗軍は支配地域を大きく広げたため、バイドアの重要性も非常に増した[7]。2002年、ラハンウェイン抵抗軍のリーダーハサン・ムハマド・ヌール・シャティガドゥド(英語版)は、ラハンウェイン抵抗軍の支配地域の独立を宣言し、南西ソマリアと名乗った。バイドアは南西ソマリアの首都とされた。南西ソマリアの独立は、2000年に設立された暫定国民政府に対する反対運動でもあった[8]。
2004年11月、南西ソマリア「大統領」のシャティガドゥドは、ソマリア暫定連邦政府への参加を表明。もっとも、この時点ではソマリア暫定連邦政府の拠点はソマリア国外であるケニアのナイロビにあった。
2005年1月にシャティガドゥドは暫定連邦政府の財務長官に任命され、それと共に南西ソマリアの解体が正式に決まった[9]。さらに、バイドアはジョハールと共に、暫定連邦政府の臨時本拠地の候補となった[10]。当初はジョハールに本拠地が置かれたが、バイドアの空港設備や運河などが強化され[11]、その後にバイドアに移された[12]。
イスラム過激組織の支配下に2006年12月にバイドア近郊で行われた、ソマリア暫定連邦政府・エチオピア連合軍と、イスラム法廷会議の戦い