バイオグラフシアター
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Biograph Theater
バイオグラフシアター
2018年撮影
en:Biograph_Theater#/map/0
概要
所在地アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ N. リンカーンAve. 2433
所有者ヴィクトリー・ガーデンズ・シアター
文化財指定1984年5月17日 アメリカ合衆国国家歴史登録財
2001年5月28日 シカゴランドマーク
座席数942席(開業時)
299席(2006年?)
現用途劇場
建設
開業1914年9月5日
再開業2006年9月28日
設計者サミュエル・N・クラウン
ウェブサイト
www.victorygardens.org
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バイオグラフシアター(英 Biograph Theater)は1914年にシカゴに建てられた初期の映画館で、アメリカ合衆国国家歴史登録財やシカゴランドマークに登録されている。1934年7月22日にギャングのジョン・デリンジャーが連邦捜査局に射殺された場所としても有名である。
映画館の歴史

1912年、チャールズ・エリクソンがシカゴのリンカーンAve.沿いに土地を購入し、2年後にルブライナー&トリンツ映画チェーン(Lubliner & Trinz movie chain)と月額833ドル(現在の17,000ドル)で賃貸契約を結んだ。

映画館の設計はシカゴの著名な建築家、サミュエル・N・クラウン(Samuel N. Crowen,1892-1935)に依頼し、1914年5月に着工、9月下旬にオープンした。

歩道から奥まったところにあるエントランス、独立したチケットブース、歩道に突き出た電飾のある庇(マーキー)など、当時の劇場の様式が至る所に見られる。外壁は赤色のレンガで覆われ白い漆喰で装飾が施されている[1]

1974年頃に大ホールを分割し2つのスクリーンがある映画館に改装されているが、この工事でインテリアの装飾の大部分が失われた[2]

1984年、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録される。2001年に映画館は閉鎖されるが、この年シカゴのランドマークに指定された。

2004年、シカゴで舞台公演を行なっているヴィクトリー・ガーデンズ・シアターが購入し大改修が行われた。庇(マーキー)は鉄骨が錆びて崩落の恐れがあるので新しく作り替えられた。オリジナルのマーキーはシカゴ歴史博物館に収蔵されている[3]。劇場は ”The Victory Gardens Theater at the Biograph” と名付けられ2006年にオープンした。オープニングパーティーは俳優のウィリアム・ピーターセンによって執り行われた。

2008年には映画「パブリック・エネミーズ」の撮影のため、外観および周辺の建物の大掛かりな改装が行われた。映画「パブリック・エネミーズ」のために改装された映画館周辺(2009年)
ジョン・デリンジャー射殺事件

1934年4月末、リトル・ボヘミア・ロッジからシカゴに逃げてきたジョン・デリンジャーホーマー・ヴァン・メーターは、悪徳弁護士ルイス・ピケットの仲介でマフィア仲間のジミー・プロバスコの家に隠れた[4]

デリンジャーの凶悪犯罪はシカゴでも止むことはなく、当局の目がシカゴに集中することをマフィアは懸念し彼らを追放することにした。プロバスコも当局に見つかるのを恐れたが、デリンジャーのことは気に入っていたようである。隠れ家を追い出されたデリンジャーとヴァン・メーターは、シカゴ近郊の森にある小屋や赤いパネルトラックの荷台でひと月ほど生活した。

7月4日、ピケットは売春宿を営むアンナ・セージ(Anna Sage)の店にデリンジャーを連れて行き、しばらく彼を住まわせて欲しいと頼んだ。アンナは承諾し一緒に住むポリー・ハミルトン(Polly Hamilton)が世話係をすることになった。26歳のポリーは以前はアンナに雇われていたが、今はウィルソンSt.のS&Sダイナーでサンドウィッチを売るアルバイトをしている。デリンジャーとポリーは気が合い遊園地やダンスホールに遊びに行く仲になった。

デリンジャーは「商品取引所で事務員をしているジミー・ローレンス」だと名乗ったが、アンナは新聞にたびたび掲載されるデリンジャーの写真を覚えており、すぐに正体に気付いた。

その頃アンナは当局から「道徳的に問題ある外国人」と見なされ、母国ルーマニアへの強制送還を迫られていた。そこでデリンジャーを警察に渡して、その引き換えにアメリカの永住権と懸賞金1万ドル(現在の約20万ドル)を獲得できないかと目論んだ。
「赤い服の女」

アンナは愛人でもあるイーストシカゴ警察のマーティン・ザーコビッチ刑事(後に汚職警官として有名になる)に相談すると、すぐに捜査局が動き出した。7月19日にアンナは捜査局と面会し取引をした。3日後「今夜デリンジャーと映画を観に行くことになった」とアンナから電話があった[5]

アンナは映画館に赤い服を着て行ったと言い伝えられているが、実際にはオレンジ色のスカートと白いブラウス姿だった。これには「捜査局が目立つように赤い服を着るよう指示をした」「劇場の白熱灯で赤色に見えた[6]」「マスコミが強烈な印象を与えようと赤色にした」など諸説あり、それ以後『赤い服の女』("Lady In Red"または"Woman In Red")は不幸の訪れを仄めかす象徴的な意味を持つようになった。
1934年7月22日 捜査局の出動1934年のバイオグラフシアター

アンナは近くの映画館に行くと言っただけでどの映画館かわからなかった。アパートの近くに映画館は2軒あり、捜査局はクラーク・ゲーブルの「男の世界」(1934)を上映するバイオグラフシアターに目星をつけた。

捜査局のJ・エドガー・フーヴァー長官は管轄外のイーストシカゴ警察とサウスシカゴ警察に応援を要請。シカゴ警察は汚職が蔓延していると考え[7]、またインディアナ州警察は個人的に反感があるため除外した。

メルヴィン・パーヴィスの指揮で捜査官と刑事の計15名が張り込むことになった。もう一軒のマーブロシアターで上映しているのはベティ・デイヴィスのコメディ映画なので見込みは薄かったが、念のためサミュエル・カウリー捜査官のチームを配置した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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