バイエル・レバークーゼン
原語表記Bayer 04 Leverkusen Fusball GmbH
愛称Die Werkself (企業のチーム)
Die Schwarzroten (黒と赤)
クラブカラー 赤
黒
創設年1904年
所属リーグドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン1部(2023?24)
昨季リーグ順位優勝(2023?24)
ホームタウンレーヴァークーゼン
ホームスタジアム
バイ・アレーナ
収容人数30,210
代表者 ヴォルフガング・ホルツホイザー
監督 シャビ・アロンソ
公式サイト ⇒公式サイト
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
バイエル04レバークーゼン(Bayer 04 Leverkusen、正式名称: Bayer 04 Leverkusen Fusball GmbH)は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州レーヴァークーゼンを本拠地とするサッカークラブである。ドイツサッカーのトップリーグであるブンデスリーガに所属する。1958年から本拠地はバイ・アレーナである。
1904年、レーヴァークーゼンに本社を置くドイツの製薬会社、バイエル社の従業員によって設立された。
以前は陸上競技や体操競技、バスケットボール、ボート、テニス、ホッケーなどに関わるスポーツクラブTSVバイエル04レバークーゼンの一部門であった。1999年にサッカー部門がクラブから分離し、現在は正式に独立した組織となっている。
2023-24シーズン、欧州5大リーグ所属クラブにおける公式戦連続無敗記録を51試合に更新した[1]。 ブンデスリーガに所属。バイエルをスポンサーに持ち、資金提供を受けて補強を図ってきた。2002年にUEFAチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、ドイツカップをあと一歩のところで逃し、全て準優勝に終わるという「準三冠」(シルバーコレクター) を達成したこともある。それ以来、他サポーターからネバークーゼン
概要
以降のチャンピオンズリーグの成績としては、2002-03シーズンに2次グループリーグ・ラウンドまで進出した他、2004-05シーズンにおいても決勝トーナメント1回戦まで進出している。このところは、チャンピオンズリーグよりもUEFAカップへの出場機会が多く、2005-06から2007-08シーズン間に3季連続で出場をし、2006-07、2007-08シーズンにおいてはベスト8まで進出している。UEFAクラブランキングでは2008-09シーズン終了時で32位につけている。
2007年夏、DFマヌエル・フリードリヒ、DFアルトゥーロ・ビダル、DFルカス・シンキエヴィッツなど、守備陣にレギュラークラスを多数確保し、VfLボーフムで得点王を獲得したFWテオファニス・ゲカスを迎え入れた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権を目標に掲げたが、失点数の多さから敗戦は13を数え、UEFAチャンピオンズリーグのみならずUEFAカップ出場権も逃した。
2008年夏にはミヒャエル・スキッベ監督を解任し、フェラーSDの強い推薦によりブルーノ・ラッバディア新監督を迎えた。MFセルゲイ・バルバレス、MFカルステン・ラメロウらベテランが引退したが、MFレナト・アウグスト、DFエンリケ、FWパトリック・ヘルメスなど若手の逸材を多数獲得した。2008-09シーズンはDFBポカールで準優勝し、リーグ戦でも一時、首位に立ったが、後半戦に調子を落とし、9位に終わった。またこのシーズン、ホームスタジアムのバイ・アレナが改修工事のためエスプリ・アレーナを使用した。
21得点を挙げたFWパトリック・ヘルメスが2009年6月に靭帯断裂の大怪我を負い、2009-10シーズン開幕から半年を棒に振ったが、リヴァプールから獲得したDFサミ・ヒーピアが若手主体のチームに安定感をもたらした。2009-10シーズン前半戦9勝8分0敗で、ハンブルガーSV (1982-83) 、バイエルン・ミュンヘン (1988-89) に次ぐブンデスリーガ史上3チーム目の無敗での「冬の王者」になった。
2010-11シーズンは前シーズンで「冬の王者」となった勢いをそのままに2位と「準三冠」を達成した2001-02シーズン以来の躍進を遂げた。2011-12シーズンは躍進の立役者ユップ・ハインケス監督はバイエルンへ、アルトゥーロ・ビダルはユヴェントスへ引き抜かれ、フライブルクを躍進へと導いたロビン・ドゥット新監督を迎えた。開幕戦のマインツ戦 (0-2) を落とし、勢いに乗ることができず、2012年3月31日に行われたフライブルク戦 (0-2) で公式戦5連敗を喫したことをきっかけに解任された。結果的には優勝争いに絡むことなく、5位に終わった。
2012年4月からクラブOBのサミ・ヒーピアが監督に就任。しかし、指導者のトップライセンスを保持していないため、ユースチームの監督であったサシャ・レヴァンドフスキが名目上の監督となり、2015年夏までの二頭体制を組む。しかし成績不振の責任を問われ2014年4月5日にヒーピアは監督を解任され、レヴァンドフスキが暫定監督となった。
2014年7月、レッドブル・ザルツブルクを率いていたロガー・シュミットを監督に招聘し、前線から猛烈なプレスをかけに行く能動的なスタイルを確立[2]。さらに、グレミオから左SBのウェンデウを、シャルケ04からレンタルでDFキリアコス・パパドプーロスを、ASローマからレンタルでDFティン・イェドヴァイを、メガクラブから注目を集める逸材中の逸材であるMFハカン・チャルハノールらを獲得し、2部のアイントラハト・ブラウンシュヴァイクに期限付き移籍をしていたMFカリム・ベララビを復帰させ、戦力を充実させた。
2015年7月、メキシコ代表のハビエル・エルナンデスを獲得すると、シュテファン・キースリングと2トップを組みリーグ戦で17得点をあげて主力に定着した。
2018年から、日本のJリーグに所属するV・ファーレン長崎とアカデミー選手育成・指導者の強化を目的に育成業務提携する事を発表した。
2021年5月、ヤング・ボイーズでスイス・スーパーリーグで3連覇を果たしたジェラルド・セオアネを監督として招聘した。