バイエルン福音ルター派教会
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Evangelisch-Lutherische
Kirche in Bayern

基礎データ
面積:70.547 km2
指導教職者:監督
ハインリヒ・ベッドフォード=ストローム
加盟教会組織:VELKD
EKD
ORK
LWB
教会管区(Kirchenkreis):6
地区(Dekanat):67
教会共同体(Kirchengemeinde):1.537
教会員数(Gemeindeglieder):2.252.159 (2020年12月31日現在)[1]
全住民における教会員比率:17,1 % (2020年12月31日現在)[1]



公式サイト: ⇒www.bayern-evangelisch.de/

バイエルン福音ルター派教会(ドイツ語: Evangelisch-Lutherische Kirche in Bayern , ELKB)はドイツ福音主義教会(EKD)に属する20の福音主義州教会の1つである[2]。州教会は本部をミュンヘンに置き、他の州教会と同様に公法上の社団でもある。この州教会は1,537の教会共同体を持ち、2.252.159人の教会員を有している(2020年12月31日現在)。教会員数は、ハノーファー、ラインラントの州教会に次ぐものであり、ドイツの州教会では3番目の規模である。
概要

バイエルン福音ルター派教会はドイツ福音主義教会 (EKD) に属するルター派教会であり、ドイツ合同福音ルター派教会 (VELKD) の加盟州教会でもある。さらに、ルター派世界連盟世界教会協議会 (WCC)にも加盟している。バイエルン州教会における公式の首座教会はニュルンベルクにある聖ローレンツ教会であり、州教会監督就任式もおこなっている。通常、州教会監督が礼拝時の説教を担当するのは州都ミュンヘンにある聖マティウス教会である。ミュンヘン聖マティウス教会は事実上、首座教会の機能を持ち、様々な文書でもほぼ首座教会と見なされている。この州教会は福音主義アカデミー(神学研修施設)をトゥッツィングに置いている。
州教会の管轄地域

バイエルン福音ルター派教会の管轄地域はドイツ連邦共和国バイエルン州全土である。
歴史バイエルン州教会の首座教会ニュルンベルク
聖ローレンツ教会

バイエルン州の昔からの中心地域(アルトバイエルン)は、宗教改革以後においても伝統的にローマ・カトリックのままであった。1806年から1810年にかけて、バイエルン王国はその統治地域を、現在の州域まで拡大した。その際、王国内に数多くの福音主義教徒の住む地域が編入された。とりわけ、フランケン地方ブランデンブルク辺境伯領、ブランデンブルク=アンスバッハブランデンブルク=バイロイト)と数多くの帝国自由都市(ニュルンベルク、メミンゲン、ケンプテン、ヴァイセンブルク、ヴィンツハイム)が福音主義であった。1806年、王国内の全プロテスタント(ルター派改革派)は一つの教会に統合された(行政上の教会合同)。さらに、ライン川左岸地域(いわゆるライン=プファルツ)も属していた。ライン川右岸地域、バイエルン王国の中心地域において、1817年、国家最高宗務局(ミュンヘン)の下で合同共同体という制度が導入された。しかし、それぞれの教会共同体は以前からある教派の信条を忠実に保持していた。

1853年、バイエルン州ライン川右岸地域の改革派教会共同体において、改革派だけによる教会総会と教会指導部が設立された。1918年において、改革派教会共同体はバイエルン領邦教会から制度的に完全に分離され、独立した(バイエルン福音改革派教会)。バイエルン福音改革派教会は後にレーア(ニーダーザクセン州)に本部を置く福音改革派教会に統合された。バイエルン領邦教会は1919年からルター派教会共同体のみになり、1921年から、ライン川右岸バイエルン福音ルター派教会という名称になった。1921年、コーブルク福音領邦教会が統合された。第二次大戦後、ライン川左岸地域(プファルツ)がバイエルン州から分離され、1948年から、現在の名称であるバイエルン福音ルター派教会が使われている。

バイエルン王国時代のバイエルン福音主義教会の首長は、教会統治者としてのバイエルン国王(カトリック教徒)であった。領邦教会は王国の教会担当部局である最高宗務局によって運営されていた。第一次大戦後、バイエルン国王は退位させられて領邦君主による教会統治は終焉を迎えた。王の退位後しばらくの間、最高宗務局長官が教会の首長としての職務を遂行した。さらに、バイエルン州教会は新たな教会規則を制定した。それ以降、州教会の首長は教会議長になった。その称号は1933年以降、州教会監督になった。教会担当部局は州教会事務局という名称に変更された。

ニュルンベルク市にある州教会資料館には、詳細な歴史資料があり、一般に公開されている。
信仰告白

バイエルン福音ルター派教会は1999年に教憲[3]を改定した。ルター派教会アウクスブルク信仰告白(1530年版)とマルティン・ルターによる小教理問答1934年に発表されたバルメン宣言を信仰告白として定義づけている[* 1]


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