この項目では、ウガリット神話・聖書などに登場する神について説明しています。18世紀のユダヤ教思想家・バアル・シェム・トーブについては「イスラエル・ベン・エリエゼル」をご覧ください。
シリアのパルミラにあったバアルの神殿
(ベル神殿)。ISILによって破壊された。
バアル(聖書ヘブライ語: ??????、フェニキア語: ??? ba‘al、ウガリット語: ???
b‘l)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」[1]、または「主人」「地主」を意味する[2]。バールや、バビロニア式発音のベール(アッカド語: ?)[1]、およびベルとも表記される。メソポタミア北部からシリア、パレスチナにかけて信仰されていた天候神アダドは、ウガリットではバアルと同一視されていた[3]。アダドはシリアではハダド、カナンではハッドゥと呼ばれ[3]、バアルとハダドはたびたび関連づけられていた[4]。
バアルの名はすでに前3千年期初頭の中近東の文献に登場するが、バアルが最もよく知られているのはウガリット文学(前1250年頃)において果たしているその顕著な働きを通じてである[5]。
バアルは本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の「列王記」上などにもその名がある。また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝ではエジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。さらにギリシアでもバアル(古代ギリシア語: Β?αλ)の名で崇められた。足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い[要出典]。 ウガリット神話では最高神イルの息子と呼ばれる[2]。またダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる[2]。勝利の女神アナトの兄にして夫。聖書などではアスタルトを妻とする解釈もある[5]。 彫像などでは、棍棒と槍(稲妻の象徴)とを握る戦士の姿で表される[2]。古代オリエント世界では一般的に嵐の神とみなされていたが、乾燥している地域では農業に携わる人々から豊穣神として崇められた。海神ヤム(ヤム・ナハル)や死の神モートは兄弟でありながら敵対者である[5]。ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神であることを象徴し、モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神であることを象徴する。 イルが神々を招集し集会を開く。そこへやって来たヤム・ナハルの使者から「ヤム・ナハルは神々の支配者であり、バアルはヤム・ナハルの奴隷である」との宣告がされる。
ウガリット神話におけるバアル
「バアルとアナト」