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ハールーン・アッ=ラシード
????? ??????
アッバース朝カリフ
在位786年 - 809年
出生763年3月17日
死去809年3月24日
配偶者ズバイダ
マラージル
マーリダ
子女アミーン
マームーン
ムウタスィム
王家アッバース家
王朝アッバース朝
父親マフディー
母親ハイズラーン
ハールーン・アッ=ラシード(アラビア語: ????? ?????? H?r?n al-Rash?d, 763年3月17日 - 809年3月24日)は、アッバース朝第5代カリフ(在位:786年 - 809年)。ハールーン・アッラシードとも表記する[1]。
即位にあたっての名はアッ=ラシード・ビッ=ラー・アブー・ジャアファル・ハールーン(al-Rash?d bi-All?h Ab? Ja?far H?r?n)であるが、古くからこのハールーン・アッ=ラシードの通称で親しまれてきた。その治世はアッバース朝の最盛期にあたり、『千夜一夜物語』などで全盛期のアッバース朝に君臨した偉大なる帝王として語り継がれている。 父は第3代カリフのマフディー。母は南アラビアのイエメン出身の元女奴隷ハイズラーン。同母兄に第4代カリフのハーディーがいる。他には、ヤフヤー・イブン=ハーリドの次男ジャアファルに嫁いだ妹のアッバーサがいるが、同母かは不明。正妃はマンスールの孫で従妹のズバイダ。子はアミーン(母はズバイダ)・マームーン(母はマラージル)・ムウタスィム(母はマーリダ)他多数。785年に即位した兄のハーディーは、即位わずか1年で謎の急死を遂げており、この死はハイズラーンが関与した暗殺だったという説がある。 ペルシア人の官僚ヤフヤー・イブン=ハーリド
目次
1 解説
2 ハールーン・アッ=ラシードが登場する作品
2.1 古典文学
2.2 アニメ映画
2.3 コミック
3 脚注
4 参考文献
5 外部リンク
解説
796年には宮廷をユーフラテス川中流のラッカに移転させ、治世の残りをラッカに築いた宮殿で過ごした。ラッカは農業の中心・交通の要所で、シリア・エジプトやペルシャ・中央アジア方面の軍の指揮に適するほか、東ローマ帝国の国境に近い戦闘の最前線でもあった。ハールーンは797年、803年、806年と3度にわたって行われた東ローマ帝国に対する親征でいずれも勝利を収め、アッバース朝の勢力は最盛期を迎えた。この間、803年には権勢を握りすぎたバルマク家の追放を決意し、ヤフヤーとファドルを捕らえ、ジャアファルを処刑してバルマク家の財産を没収、カリフによる直接統治を開始した。
しかし対外的に絶頂を極めた影で、帝国の内部は地方の反乱に悩まされ、アッバース朝は分裂に向かい始めていた。さらに、バルマク家の追放後はカリフの側近の軍人たちが権力を握り始め、のちのマムルークによる支配体制の端緒が見られるなど、この時代はアッバース朝の統一とカリフの支配力が緩み始め、衰退の兆候があらわれた時期でもあった。
文化の面では学芸を奨励し、イスラム文化の黄金時代の土台を築いた。
ハールーン・アッ=ラシードが登場する作品
古典文学
『千夜一夜物語』(夜な夜なバグダードに繰り出す風流な君主として登場する)
アニメ映画
ドラえもん のび太のドラビアンナイト(ハールーン・アル・ラシードとして登場)