ハーラル青歯王
Harald Blatand
デンマーク王
司教ポッポによって洗礼を受けるハーラル
在位958年? ? 985年?
死去986年?
配偶者ギュリズ
トーヴェ
子女スヴェン双髭王
スュリ(タイア、チューリ)
家名ゴーム家
王朝イェリング朝
父親ゴーム老王
母親テューラ
ハーラル1世ゴームソン "青歯王"(デンマーク語: Harald Blatand Gormsen、 ? ? 986年?、ハラルド・ゴルムスソンとも[1])は、デンマークの王(在位:958年? ? 985年?)。
父親はデンマーク王ゴーム、母親はテューラ・デーネボーズ[2]。ノルウェーとデンマークを無血統合した。ザクセン公家のデンマークへの政治的侵入を受け、960年ごろに洗礼を受けてキリスト教を受け入れた。ただし、948年にはシュレースヴィヒ、リーベ、オーフスの半島3都市に既に司教が任命されていたらしい。
デンマークとノルウェーを交渉によって平和的に統一した事績にちなんで、複数の電子機器をつなぐ通信技術のBluetoothの語源となった[3][4]。
世界遺産イェリング墳墓群には、ハーラルによるデンマークの統一、ノルウェーの支配、デンマークのキリスト教化という三つの功績を記したルーン石碑がある[5]。
ハーラルのルーン石碑と事績ハーラルの石碑 A面
イェリング墳墓群には、ゴーム老王が妻テューラを記念して建てた第1イェリング石碑(ゴームの石碑)とハーラルが両親のために建てた第2イェリング石碑(ハーラルの石碑)がある。ゴームの石碑は高さ139cmの直方体で目立った装飾もないが、併置されたハーラルの石碑は高さ243cmの三角錐型で、碑文に加えスカンディナビア最古のキリスト図像とイェリングの獣と呼ばれる獣の図像が彫られており、これらの図像は当時おそらく彩色されていた[6]。この二つの石碑は、16世紀に土中から発見され墳丘の間に設置されたため建立当時の正確な位置は不明だが、近接した場所から発掘されており、ハーラルの石碑は、当時の人々に対しても素朴なゴーム石碑と対比させることで自身の権威を示しデンマークがキリスト教国家であることなどを確認させる機能を持たせていたものと見られる[7]。
ラテン文字転写(A面)haraltr : kunukR : bat : kauruakubl : tausi : aft : kurm fatur sinauk aft : t?urui : mutur : sina : saharaltr (:) ias : s?R * uan * tanmaurk(B面)ala * auk * nuruiak(C面)* auk * t(a)ni (* karti *) kristn?(Jacobsen & Moltke, 1941-42, DR 42)
日本語訳「王ハーラルは、その父ゴームと母チューラを記念してこの碑を建てるように命じた。 これなるハーラルは、全デンマーク、そしてノルウェーを手中にし、デーン人をキリスト教徒となした。」[8][9]世紀北欧の古海図『カルタ・マリナ』中のダーネヴィアケ(赤線部)トレレボー円形要塞