ハーブロック
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ハーブロック
Herblock
生誕Herbert Lawrence Block
(1909-10-13)
1909年10月13日
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没2001年10月7日(2001-10-07)(91歳)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
国籍 アメリカ合衆国
役割漫画家
主な作品風刺漫画
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ハーブロック(Herblock)ことハーバート・ローレンス・ブロック(Herbert Lawrence Block、1909年10月13日 - 2001年10月7日)は、アメリカ合衆国風刺漫画家、作家である。国内・外交政策に関する解説でよく知られている[1]ピューリッツァー賞の時事漫画部門を3回(1942年、1954年、1979年)を受賞し、ウォーターゲート事件の取材で1973年の公益部門を共同受賞した。
キャリア

ブロックは1909年にシカゴで生まれた。父はユダヤ系の化学者・電気技師のデビッド・ジュリアン・ブロック、母はカトリック教徒のテレサ・ルーペ・ブロックで、3人兄弟の末っ子だった。兄のリッチは工業用ランドリーの会社の社長に、兄のビルは『シカゴ・トリビューン』を経て『シカゴ・サン』の新聞記者になった。

11歳の時にシカゴ美術館附属美術大学の授業を受け始めた。"Herblock"というサインは高校生のときから使い始めたものである。1927年に高校を卒業した後、レイクフォレスト大学(英語版)に入学した。

大学2年生の後半、これまでに描いた漫画を提出して、欠員となっていた『シカゴ・デイリー・ニュース(英語版)』の風刺漫画家として雇われた。それ以降、大学に戻ることはなかった。1933年にクリーブランドに移り、風刺漫画を全米の新聞社に配信するニュースペーパー・エンタープライズ・アソシエーション(英語版)の専属漫画家となった。

1942年に最初のピューリッツァー賞を受賞した後、陸軍に2年間従軍して漫画やプレスリリースを担当した。除隊後、『ワシントン・ポスト』の首席風刺漫画家に就任し、亡くなるまで55年間ここで働いた[1]

ブロックの漫画は、1987年から2001年に亡くなるまで、クリエーターズ・シンジケート(英語版)によって世界中の新聞に配信された[2]

ブロックは生涯結婚せず、ワシントン・ポスト社の従業員名簿には、ブロックの住所は単に"The Washington Post"と記載されていた。
漫画

初めて新聞に掲載されたハーブロックの漫画は、『シカゴ・デイリー・ニュース』の1929年4月24日号に掲載された、アメリカの森林保全を呼びかけるものだった。ハーブロックによれば、彼の家族は保守的で、父は1928年の大統領選挙ハーバート・フーヴァーに投票したと言っていた。しかし、世界恐慌が始まると、ハーブロックはフランクリン・ルーズベルト大統領とニューディール政策を支持した。彼はソ連の侵略の危険性、ナチスの脅威の増大を指摘し、アメリカの孤立主義に反対した[1]スターリンをはじめとする共産主義者を批判する一方で、アメリカは共産主義の危険性に過剰反応していると考えていた。

1950年代初期、ハーブロックはジョセフ・マッカーシー上院議員をしばしば風刺漫画のネタにし、「マッカーシズム」という言葉を作り出した。ハーブロックは1954年に2度目のピューリッツァー賞を受賞した[1]。ワシントン・ポスト紙は1952年の大統領選挙で公にアイゼンハワーを支持した。ハーブロックはアドレー・スティーブンソンを支持していたため、ワシントン・ポスト紙は彼の漫画の掲載を取り止めたが、1週間後には復活した。ハーブロックは常に、政治問題に関するワシントン・ポストのスタンスと彼の漫画が一致しているかどうかに関係なく、編集の完全な独立性を主張していた。ハーブロックは権力を握っている公人を攻撃することに重点を置き、そのほとんどは共和党員だったが、ハーブロックを不快にさせた民主党員も批判を免れなかった。例えば、ハーブロックはフランクリン・ルーズベルトを熱烈に崇拝していたが、1937年にルーズベルトが実施しようとした司法制度改革(英語版)(法廷パッキング計画)をハーブロックは批判した。

1950年代、ハーブロックは、主に公民権に関する行動が不十分で、マッカーシー上院議員の濫用を抑制しなかったとして、アイゼンハワーを批判した。1960年代には、ハーブロックはベトナムでのアメリカの戦争遂行を攻撃し、ジョンソン大統領がハーブロックへの大統領自由勲章授与を中止させる原因となった。ハーブロックは後に、1994年にビル・クリントンからこの勲章を授与されている。ケネディ大統領暗殺事件の直後に描かれた、銃の所有(英語版)についてのハーブロックの漫画

ハーブロックの漫画の傑作の中に、ウォーターゲート事件におけるニクソン政権を攻撃したものがあり、これにより1979年に3度目のピューリッツァー賞を受賞している。1954年に、下水道から這い出てくるニクソンの漫画をハーブロックが描いた後、ニクソンはワシントン・ポスト紙の購読を中止した。同じモチーフは、以前にマッカーシー上院議員に対しても使っていた[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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