ハーフェズ
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「ハーフィズ」はこの項目へ転送されています。その他の「ハーフィズ」および「ハーフェズ」については「ハーフィズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
18世紀ペルシアの細密画に見えるハーフェズの肖像

ハージャ・シャムスッディーン・ムハンマド・イブン・バハーウッディーン・ハーフィズィ・シーラーズィー(ペルシア語: ????? ????????? ???? ?? ?????????? ???? ??????‎、Khw?ja Shams al-D?n Mu?ammad ??fi?-i Sh?r?z?、1325/1326年 - 1389/1390年)、通称ハーフェズ(またはハーフィズ)は、イラン詩人。「ハーフィズ」(Hafiz/??fi?)は古典的な読み方、「ハーフェズ」(Hafez)は現代ペルシア語的な読み方であり、世界的にはどちらも広く用いられている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では、黒柳恒男訳『ハーフェズ詩集』(東洋文庫)以降、「ハーフェズ」で定着した感がある[要出典]。

後に編纂された『ハーフェズ詩集』は、東西の文化に影響を与え、ゲーテは晩年、ハーフェズの詩に感銘を受け、『西東詩集』を綴った。ハーフェズの詩についてゲーテは「ハーフェズの詩を理解するには 魂まで一汗かく必要がある」と語ったという。恋と酒と自然の美などを主題とした作品が多く、民衆に広く愛され、現代でも「コーランなくとも各家庭にはハーフェズ詩集あり」とまで言われている。また、詩集を用いた「ハーフェズ占い」なるものも存在し、街中でおみくじのように売られていたり、各家庭では冬至の夜にこの占いをする。西暦10月12日(イラン暦メフル月20日)は「ハーフェズ記念日」とされている。
呼び名

詩人の名前について、ムスリム名は「シャムソッディーン・モハンマド(?ams-al-Din Mo?ammad)」[1]、雅号[注釈 1]は「ハーフェズ(??fe?)」という[2][3]。この点に関して異説はない[3]。「ハーフェズ」には「イスラーム教の聖典クルアーンの全114章をすべて暗誦できる者」の意味があり[2]、それと同時に「美声でクルアーンを朗誦する者」の意味もある[4]。詩人は事実としてクルアーン暗記者であったのかもしれないし、あるいは、作品の中にクルアーンの章句を想起させるフレーズが横溢しているがためにこの名前で呼ばれたのかもしれない[3]。いずれにせよこの雅号は、詩人の敬虔さと[4]、非凡な記憶力を有していたことを印象付ける[5]

ハーフェズの100年ほど前に生きた同郷の詩人サアディーが「シェイフ」の敬称で呼ばれるのに対し、ハーフェズは「ハージャ」の敬称で呼ばれる[6]。ハーフェズは同時代人にも「ハージャ」と呼ばれており、また、この単語を用いて自分自身に言及する箇所がある作品もある[3]。後世の人には、尊敬を込めて「不可思議の舌」(les?n-al-?ayb)、「神秘の翻訳者」(tarjom?n al-asr?r)とも呼ばれた[6]
生涯シーラーズにあるハーフェズ廟(ペルシア語版)

ペルシア語文化圏で編集される詩歌アンソロジーには「タズキラ(英語版、ペルシア語版)」と呼ばれる、その詩を詠んだ詩人の略伝が付される場合がある[7]。後代の詩歌アンソロジーに収録されたハーフェズ詩に付されるタズキラには、詩人の生涯について、いろいろなアネクドートが書かれているのであるが[3][7]、欧米におけるペルシア文学研究の礎を築いたE・G・ブラウンによれば「それらはすべて虚構と言っていい」[3]。ハーフェズの生涯に関しては、文献学的に確証があるといえる情報がほとんどない[3]

伝統的に、ハーフェズの生涯を再構成する際に根拠とされてきた情報源は、詩人の作品それ自体である[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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