ハードコア・レスリング
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ハードコア・レスリング(Hardcore wrestling)は、プロレスにおける一種の形態を表す英称で過激な試合を特徴とするプロレスを指す。ハードコア・マッチ(Hardcore Match)とも呼ばれている。

プロレスそれ自体の世界の2大柱であるアメリカ日本において盛んに見られており、これを提供するプロレス団体としては日本の大日本プロレス、アメリカのCZWが特に有名という状況にある。この形式を得意とする選手には次第にダメージが蓄積された結果、後に長期の休養を余儀なくされる者も多い。
意義

ハードコア・レスリングのルールとして、凶器の使用などの反則裁定が一切なく、またリングに限らず、どこでも決着がつけられるルールを主としており、観客にスリリングさをアピールする狙いがある。

なおデスマッチもハードコア・レスリングの範疇に含まれるが、日本においてはデスマッチのほうが危険度の高いルールや状況下で実施されることがほとんどである。

また、木高イサミは「突き刺さる利器を使うのがデスマッチ」、「椅子やラダーがハードコア」と区分[1]。大日本プロレスでは「反則カウントがあり、指定された道具を使うことができるルール」がデスマッチ、「反則カウントがなく、レフェリーが特に危険とみなしたもの以外使うことができるルール」がハードコアと区別している。DDTTNAでは高度な空中技なども合わせた類似の区分「エクストリーム」が設けられている。
歴史
その黎明とFMWの勃興ハードコア・レスリングのパイオニアとされている大仁田厚

流血や『過激さ』を伴うプロレスそれ自体は力道山フレッド・ブラッシーらが活躍した時代から存在したものの、このスタイル―すなわちハードコア・レスリングがひとつの本格的なプロレス様式として初めてその地位を築いたのは、1990年代の日本においてであった。[2]

1989年の日本に産声を上げたFMWは設立当初から、街頭の喧嘩の様な試合を柱としていた。

着想の拡大とともにしだいに過激さを増していったFMWは、有刺鉄線爆薬(『電流爆破』)、更には『地雷』などを小道具に用いて派手な試合を見せつつ、大仁田厚の存在もあり、インディーズ界最大の団体と呼ばれるまでに成長した。

一般メディアへの登場も盛んに見せたFMWは、ハードコアのリングに女子レスラーらを放り込んだ最初の団体でもあった。この団体に所属していた工藤めぐみコンバット豊田によるノーロープ有刺鉄線・電流爆破デスマッチを皮切りに続々と生まれた女子によるデスマッチの数々は、世界のハードコア・レスリングの歴史に大きくその名を留めている[3]
その発展から21世紀へ蛍光灯もやがてはハードコア・レスリングに定番の小道具になった。

FMWの隆盛期のさなかにあった1995年に旗揚げを行った大日本プロレス画鋲蛍光灯などの小道具をふんだんに用いてFMWを凌ぐほどの過激な試合を世に送り出し台頭していった。

1997年には米国のIWAミッドサウスが『キング・オブ・ザ・デスマッチ』と題した大会を始動し、その初回からさっそく有刺鉄線や画鋲を用いたデスマッチを展開した。[4] ちょうど同時期の1999年にあって、米国フィラデルフィアの地にコンバット・ゾーン・レスリングが設立された。

当初から大日本プロレスとの繋がりを持ち、その設立者たるジョン・ザンディグを首領としたCZW軍による大日本プロレスへの度重なる参戦もあって、大日本プロレスからの多大な影響を背景に成長を続けたCZWは、やがて北アメリカで最も有名なハードコア・レスリングの団体となった。

20世紀終盤の北アメリカにあっては、このCZWに並ぶほどの知名度を得たハードコア・レスリングの送り手としてECWがあった。初期のFMWから着想を得たことで生まれ、そのFMWから数多の選手を迎え入れもしたこの団体が本拠を置いたのもまたフィラデルフィアであった。こうしたことからか、このフィラデルフィアという地を『ハードコア・レスリングの聖地』と表現する向きもある[5]

2000年代の前半にあっては、CZWが『トーナメント・オブ・デス』という、その試合をデスマッチに特化させた趣旨の大会を始動。[6] 2000年にはドイツルールの地にウエストサイド・エクストリーム・レスリング(wXw)という団体が設立された。[7] ハードコア・レスリングに特化した独自の王座を管理しながら遂には『ゴアフェスト』と題したデスマッチ特化型の選手権大会を催すようにまでなったこの団体は、のちにCZWの選手陣を多く招聘し、延いてはCZWの王座を賭けた試合を組むなどしつつCZWとの関係をしだいに深めていった。[8]

1997年から世紀を越えて続けられてきたIWAミッドサウスの『キング・オブ・ザ・デスマッチ』であったが、その2006年の大会にあっては、これに女子プロレスラー部門としての『クイーン・オブ・ザ・デスマッチ』が新設されるに至り、尾崎魔弓ミッキー・ナックルズ坂井澄江などといった女子レスラーらが有刺鉄線や蛍光灯、ガラスなどを用いたデスマッチをそこに繰り広げた。[9] 更にこの年にあっては同国を本拠の地とするIWAイーストコーストが、デスマッチに特化した選手権大会―『マスターズ・オブ・ペイン』を始動。総勢8名の選手らがさっそく多量の流血を伴う試合の数々をそこに展開した。[10]

メキシコでも2001年にハードコアスタイルを取り入れたX-LAWが旗揚げされている。
著名な担い手達

ハードコア・レスリングの担い手は特に『ハードコアレスラー』と呼ばれることがある。
日本

大仁田厚 - ハードコア・レスリングのパイオニア(先駆者)として語られる、FMWの創始者。

ミスター・ポーゴ - FMWを始めとして、W☆ING大日本プロレスを転戦。火炎噴射に代表される数多の危険な攻撃を考案。大日本においてはBJW認定デスマッチヘビー級王座の初代王者に輝く。

ターザン後藤 - FMWに始まり数多のハードコア・マッチのリングを転戦。

松永光弘 - 「Mr.デンジャー」の異名を持ち、FMWに始まり、W☆INGや大日本プロレスを舞台にデスマッチを重ね続けている。ワニピラニアタランチュラなどの動物を用いたデスマッチ群の実験台ともなった。

金村キンタロー - FMWに始まり、W☆INGや大日本プロレスで数多のデスマッチを経験。を用いた試合中の事故によって命に危険が及ぶほどの大火傷を負ったことがある。

田中将斗 - 大仁田厚の弟子でFMWに始まり、ハードコア色の強いECWでもECW王座に君臨した事がある。

本間朋晃 - 90年代の大日本プロレスを支えたレスラーの一人。大日本の代名詞とも言える「蛍光灯デスマッチ」を考案した。

伊東竜二 - 大日本プロレスのスターとして数多のデスマッチを重ね続けている。また、大学時代、工学部に所属していた経歴を生かし、独自のデスマッチアイテムを作製し、持参してくる場合がある。


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