ハート
USA.ニューヨーク公演(2012年)
基本情報
別名.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}
ジ・アーミー
ホーカス・ポーカス
ホワイト・ハート
出身地 アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル
ジャンル
アリーナ・ロック[1]
フォーク[2]
ハードロック[2]
グラム・メタル[3]
プログレッシブ・ロック[2]
活動期間
1967年 - 1998年
2002年 - 2016年
2019年 -
レーベル
マッシュルーム
ハート (Heart)は、アメリカ合衆国出身のロックバンドである。アンとナンシーのウィルソン姉妹率いるユニットとして活動、女性ロック・ミュージシャンを核とした先駆的グループとしても知られる。2013年『ロックの殿堂』入り。ジェイク・ブラウンの著書『Heart: In the Studio』の中で、「当時、彼女らのバンドは音楽における女性のための革命であり、ジャンルの壁を越え、批評家の称賛を集めることを始めていた。[4]」と説明されている。
来歴アン&ナンシー・ウィルソン(1998年)アン・ウィルソン (2022年)ナンシー・ウィルソン (2010年)ナンシー&ロジャー・フィッシャー(右) 1978年
1966年に、ギタリストのロジャー・フィッシャーとベーシストのスティーヴ・フォッセンらが結成した「アーミー」というバンドが母体。1968年にメンバーチェンジを行い「ホワイト・ハート」と改名。
1971年にフィッシャー、フォッセンがオーディションを行いアン・ウィルソンを見出す。アンは2、3週間のつもりでゲスト参加したが、ツアーが上手くいったためそのまま加入、「ホーカス・ポーカス」に改名。ここでアンはロジャーの兄マイク(ホーカス・ポーカスのメンバーでもあった)と出会う。
1972年に「ハート」と改名し、マイクはバンドのマネージャーとなった。1973年から正式に発足。以降ナンシーは時々ライヴに参加、アン達にバンドに誘われていたが、小説家を志していたため決心がつかずにいた。
1975年にナンシーも正式に加入し、ウィルソン姉妹、フィッシャー、フォッセンの4人組で1976年にデビューアルバム『Dreamboat Annie』を発表。レッド・ツェッペリンに強く影響された音楽性やアンの歌声、姉妹バンドであることなどが注目を集め、「Magic Man」(全米9位)「Crazy on You」(全米35位)などの曲がヒットした。この時期アンとマイク、ナンシーとロジャーは恋愛関係にあった。
1977年には1stにも参加していたギタリスト/キーボーディストのハワード・リース、ドラマーのマイケル・デロージャーを加えた編成で2ndアルバム『Little Queen』を発表。シングル「バラクーダ (Barracuda)」は全米11位を記録した。
1979年にアンとマイク、ナンシーとロジャーの2組のカップルが破局。フィッシャーが脱退。この時点で完全にウィルソン姉妹が中心のバンドとなる。
1982年にはフォッセンとデロージャーが脱退し、ベースにマーク・アンデス、ドラムにはデニー・カーマッシが加入。この頃には商業的に低迷期に入っていた。
1985年発表の8thアルバム『Heart』では、当時、「サバイバー」や「キッス」等を手がけヒット作を連発していたロン・ネヴィソンをプロデューサーに迎えた。初めて外部のソングライターによるポップでキャッチーな曲を収録し、これが起死回生のヒット作となる。「What About Love?」(全米10位)、「Never」(全米4位)「These Dreams」(全米1位)「Nothin' At All」(全米10位)とシングルヒットを連発、アルバムも全米1位となり、一気にスターダムへと駆け上がった。
こうして1987年発表の9thアルバム『Bad Animals』(プロデュース/ロン・ネヴィソン)も全米2位、1990年発表の10thアルバム『Brigade』も全米3位と、バンドは黄金期を迎えた。この時期にはヘヴィメタルのムーヴメントが盛り上がっており、それに乗る形でルックスや音造りもグラマラスでゴージャスなものへと変化していた。姉妹はバンド活動休止時の1990年代後半のインタビューで「ロンのプロデュースは徹底的に売れる音作りを狙っていたので、納得できない点もあった。」と答えている。しかし、この徹底的に売れる音作りが見事に当たったのは事実であった。
1993年11thアルバム『Desire Walks On』を発表するが、この頃盛り上っていたグランジブームに押されバンドの人気は急激に低下。ここにベースのマークは参加せず、1992?1993年に脱退したものと思われる。
この頃からアンとナンシーは「ラヴモンガーズ」を始めとしたバンド外のプロジェクト活動やソロ活動を重視し、サウンドも原点回帰のアコースティック路線を模索するようになる。
この間にデニーは、デイビッド・カバーディル(Vo/ex:ホワイトスネイク)とジミー・ペイジ(g/ex:レッド・ツェッペリン)のプロジェクトであるカバーディル/ペイジに参加。引き続きカバーディルが再始動させたホワイトスネイクにも参加する。こうして1994年頃には脱退。
1995年MTVの看板番組「アンプラグド」に出演。StringsでAcousticなナンバーを披露している。この模様はのちにライブ作品『The Road Home』に収録。このライブには元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズをベースに迎えており、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}姉妹のツェッペリン好きの夢がかなったといったところだろうか。[要出典](ちなみにジョンはこのアルバムのプロデュースも行っている)
1999年ナンシー・ウイルソンはソロとして「LIVE AT MCCABE'S GUITAR SHOP」をリリース。
2000年-2001年ナンシーは、当時の夫で映画監督のキャメロン・クロウの『あの頃ペニー・レインと』(2000年)、『バニラ・スカイ』(2001年)のサントラに曲を提供。
2002年HEARTとしてバンドメンバーも変え、久しぶりサマー・オブ・ツアーが行われる。最終日には地元シアトルでライブを行いライブ作品『Alive in Seattle』として発売されている。このツアーにはデビュー当時からバンドを支えていたハワードの姿は見られなかった。
2004年、11年ぶりのオリジナルとなる12thアルバム『Jupiter's Darling』を発表[5]。このレコーディングにもハワードは参加せず脱退が決定的になる。こうしてバンドは実質的に姉妹のプロジェクトとなる。ハワードは2008年頃よりバッド・カンパニーのサポートメンバーとしてツアーに同行していて、2010年には来日もした。
90年代以降、長期のツアーは避け、単発的なライブ活動を中心に据えるようになってきている。 実際は、『Little Queen』よりも『Magazine』の曲の方が先に録音されていた。
また最近は、乳がんやアフリカのエイズ貧困問題など支援活動行っている。
2005年キャメロン・クロウ監督の映画『エリザベスタウン』のサントラにナンシーのAcousticなギターサウンドを提供。
2006年TV番組「DECADES ROCK LIVE」でアリス・イン・チェインズ、デイヴ・ナヴァロ、キャリー・アンダーウッド、Gretchen Wilson、ダフ・マッケイガン(b/ex:ガンズ・アンド・ローゼズ現ベルベット・リボルバー)らと競演。再びエレクトリック・ギターを使用した豪快なロック・サウンドを聴かせている。
2008年のチャリティーライブにて
2007年アン・ウィルソンが初のソロ・アルバム"Hope & Glory"を9月にリリース。カヴァーアルバムで、ゲストも多彩でエルトン・ジョンやk.d.ラングらが参加。「ハート」としては、現在のメンバーにStringsを加えた編成で1stアルバム『Dreamboat Annie』を再現したライブ演奏したライブ作品『Dreamboat Annie Live』を発表。
2010年、13thアルバム『Red Velvet Car』を発表。ナンシーとキャメロン・クロウの離婚が成立。
2012年ナンシーが大手映画会社の幹部と再婚。14thアルバム『Fanatic』を発表[6]。
2013年、『ロックの殿堂』入り[7]。
2015年、アンが一般男性と結婚[8]。
2016年、15thアルバム『Beautiful Broken』を発表[9]。
2023年10月10日にカリフォルニアで開催したアンのソロライブに、ナンシーがサプライズ出演し「Barracuda」を披露。12月27日にはカリフォルニア州ハイランドで、2019年10月以来となる『ハート』としてのワンマンライブを開催。参加メンバーは、アンとナンシーに加えて、ライアン・ワリナー(ギター)、ライアン・ウォーターズ(ギター)、ポール・モーク(ギター)、トニー・ルシード(ベース)、ショーン・レーン(ドラムス)。またその後も翌28日に同州パームデザート、31日に地元・ワシントン州シアトルでもワンマンライブを開催した[10][11][12]。
2024年1月、同年4月20日から北米とヨーロッパを廻るツアー『Royal Flush』を開催することを発表。北米での公演にはチープ・トリック、英国での公演にはスクイーズがサポート・アクトとして参加[12]。しかし、アン・ウィルソンが急遽「日常的医療処置」を受けることになり回復まで6週間を要するため、6月20日から7月12日に予定していたヨーロッパ・ツアーの中止を5月29日に発表した[13]。
特徴USA.サンディエゴ公演 (2010年12月)
音楽性
アンの「女ロバート・プラント」と称されるエネルギッシュな歌声と、ナンシーの激しくも可憐なギタープレイが魅力。
エルトン・ジョンの長年にわたる共作者であるバーニー・トーピン(マーティン・ペイジとの共作)が作詞した「These Dreams」など、ナンシーが歌ってヒットした曲もある。
総じて1970年代から1980年代前期にかけてはアコースティックな要素のあるハードロックであり、1980年代後期のヒット曲はメロディアスでコマーシャル、2002年以降は初期の音楽性に回帰しグランジの要素も加わっている。
逸話・その他
『Magazine』リリースまでの紆余曲折
レコード会社移籍(マッシュルーム→ポートレイト)に伴う裁判問題で、先に『Little Queen』がリリースされた。
その後契約上の問題のため、マッシュルーム側は上記の録音されていた曲にライブ・テイクを加え、『Magazine』としてリリースした。
しかしハート側は、これを未完成であるとして発売停止を裁判所に訴え、認められる。
これにより、マッシュルーム盤『Magazine』は発売中止・回収を義務付けられた。
結局ハート側はオーバー・ダビング等をし直し新たに『Magazine』をリリースした。
メンバーのうち、3人(フィッシャー、フォッセン、デロージャー)はカナダのロックバンドシェリフの元メンバーの2人とエリアスを結成し、1990年に「君がほしい」が大ヒットしたが、これ以降ヒットは続かなかった。