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貴族
王家
ヨルダン、イラク、ヒジャーズの国章
国 ヒジャーズ王国
イラク王国
シリア・アラブ王国
ヨルダン
主家クライシュ族
当主称号シャリーフ
カリフ
マリク(国王)
・アラブの王
・シリア国王
・ヒジャーズ国王
・イラク国王
・ヨルダン国王
当主敬称陛下
創設6世紀
1916年6月10日 (近代)
家祖ハーシム
フサイン・イブン・アリー
最後の当主ファイサル1世 (シリア)
アリー (ヒジャーズ)
ファイサル2世 (イラク)
現当主アブドゥッラー2世(ヨルダン)
滅亡1920年7月25日(シリア:フランス・シリア戦争)
1925年12月19日(ヒジャーズ:サウジ征服)
1958年7月14日(イラク:7月14日革命)
民族アラブ人
分家アッバース家
アラウィー家
イドリース家
ファーティマ家
ラシード家
著名な人物ムハンマド
ハーシム家の旗ヒジャーズ王アリー(前列左)
ヨルダン王アブドゥッラー1世(前列中央)
シリア王/イラク王ファイサル1世(前列右)
ハーシム家(アラビア語: ?????????、al-H?shim?y?n、アル・ハーシミーユーン)は、イスラムの王家、または王朝の名前である。 イスラム教の預言者ムハンマドの曽祖父ハーシム(西暦500年頃没)の一門。クライシュ族に属する。アッバース朝もこの一門から出た。 ハーシムの息子アブドゥルムッタリブにはアブドゥッラーフ、アブー=ターリブ、アッバースら息子たちがいた。この内、アブドゥッラーフの息子ムハンマドは男児に恵まれぬまま末娘ファーティマとその夫でアブー・ターリブの息子のアリーとの間にのみ血統が残ったため、実質、ハーシム家はアリー家を含むアブー・ターリブ家とアッバース家に大きく分けることができる。 アブー・ターリブ家にはアリーの他にジャアファル、アキールの家系があり、アリー家にはファーティマとの間に儲けた二人の息子、ハサン、フサインがおり、特にこれをファーティマ家と呼ぶ場合もある。アリー家には他にムハンマド(・ブン・アリー)、アッバース(・ブン・アリー)、ウマル(・ブン・アリー)の家系がある。 ハーシム家をはじめ、預言者ムハンマドやアリーの一族は歴史的にムスリム社会で敬意を受け、さまざまな尊称で呼ばれて来たが、特に預言者の血筋を引くファーティマ、アリー家の人々の場合、おおよそフサイン家の成員をサイイド(シーア派のイマームはこの系統)、ハサン家の成員をシャリーフという尊称が用いられて来た。地域によってはシャリーフのみや、ミール、ハビーブなども使われている。 イスラム教の預言者ムハンマドの孫で、第4代正統カリフ・アリーとムハンマドの末娘ファーティマとの息子、ハサンの末裔(イスラームの伝統的系譜学上の区分では特に「ファーティマ家」にあたる)であるとされるアラブの王朝。10世紀の967年のタイモン 1921年から現在に至るまで、ヨルダン・ハーシム王国の国王はハーシム家である。イラク革命以降は旧ヒジャーズ・イラク王族が合流。 また、同じハサン家末裔を自称する現存王朝にモロッコ王国王家のアラウィー朝があり、1918年から1962年に存在したイエメン王国王家は、ハサンの弟フサインの孫のザイド・イブン・アリーの子孫を名乗っていた。
家系としてのハーシム家
王朝としてのハーシム家
1917年?1925年:メッカのアミールであるフサイン・イブン・アリーがアラブ反乱を起こし、オスマン帝国から独立してヒジャーズ王国としてアラビア半島のヒジャーズ地方を支配。しかし、サウード家のイブン・サウードにより国を奪われて亡命。
1921年?1958年:ファイサル1世によりイラク王国を建国。初め、イギリス委任統治下にあり、後に独立。1958年、7月14日革命により滅亡。旧ヒジャーズ王族の多くがイラク王族に合流。