ハーグ事件
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この項目では、1974年に日本赤軍が起こした事件について説明しています。1907年に発生した、大韓帝国による事件については「ハーグ密使事件」をご覧ください。

ハーグ事件
日本赤軍が占拠したフランス大使館と、その様子を隠れてうかがう警備当局者。
場所 オランダ デン・ハーグ 在蘭フランス大使館
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度5分10.4秒 東経4度17分53.4秒 / 北緯52.086222度 東経4.298167度 / 52.086222; 4.298167座標: 北緯52度5分10.4秒 東経4度17分53.4秒 / 北緯52.086222度 東経4.298167度 / 52.086222; 4.298167
日付1974年昭和49年)9月14日 - 9月18日 (日本標準時)
概要人質立てこもり事件
武器拳銃手榴弾
負傷者3人(警察官2人、日本赤軍1人)
犯人日本赤軍奥平純三和光晴生西川純
対処日本赤軍の要求受け入れ(要求された身代金は減額)
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ハーグ事件(ハーグじけん)とは、1974年9月14日(現地時間、9月13日)にオランダデン・ハーグで発生した、日本赤軍によるフランス大使館立て籠もり・人質事件。日本赤軍最高幹部の重信房子も関与していたとされ、犯行グループは当局に要求を呑ませてシリアに逃亡した。
概要

以下、特に断りがない場合日時は日本時間。

1974年7月26日、日本赤軍の山田義昭パリ=オルリー空港で「偽造米ドル所持」「偽造旅券行使」の容疑で逮捕された。9月はじめ、日本赤軍は勾留中の山田の奪還を図り、構成員の奥平純三和光晴生西川純の3人に対し、ハーグ所在の在蘭フランス大使館を襲撃して仏当局と人質にした大使らと山田を交換する交渉を行うよう指令した[1]

9月10日、3人はスイスチューリッヒで合流し、鉄道でオランダに入国した[1]

9月14日午前0時20分、3人はフランス大使館に拳銃手榴弾で武装して侵入、大使ら11人を大使室に監禁した[1]

人質を取って大使室に立て籠もった和光らは、「フルヤ」の偽名を使っていた山田の引き渡しに加えて、脱出用の航空機及び「慰謝料」100万米ドルを要求した。この間に人質救出を試みたオランダ警察と撃ち合いになり、警察官2名が撃たれて重傷を負い、奥平も右上腕部を負傷した[1][2]

9月15日(現地時間)にはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のテロリストであるカルロスがこれに呼応してパリで爆弾テロを起こし(2人が死亡、34人が負傷)、フランス当局にプレッシャーをかけた[3]

9月17日、交渉の結果、オランダ政府が30万ドルを払い、フランス政府は要求を呑んで山田を釈放し、国外逃亡用のボーイング707エールフランス機、機体記号:F-BHSJ)も用意された[2]。また、事件の余波でオランダは、9月17日ユリアナ女王によるパレードを簡素化することになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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