ハンブルク州立歌劇場
ダムトーア通りから臨む劇場正面(2010年)
情報
旧名称ハンブルク・オペラ
ハンブルク州立劇場
種別歌劇場
完成1678年
開館1678年1月2日
改築2002年?2005年
収容人員1,690人
設計ジローラモ・サルトリオ
ハンブルク州立歌劇場(ドイツ語: Hamburgische Staatsoper)は、ドイツの主要歌劇場の一つ。ゲンゼマルクト区にほど近い、1678年設立されたドイツ最古の公衆歌劇場である。現在は、ハンブルク州立オペラ、ハンブルク・フィルハーモニカー、ハンブルク・バレエ団の本拠地となっている。 ハンブルクの歌劇場の歴史は、1678年1月2日、オーパー・アム・ゲンゼマルクト
目次
1 概要
2 脚注
2.1 注釈・出典
3 外部リンク
概要
当時圧倒的だったイタリア風の様式に対抗する存在として、ハンブルク国民オペラはドイツのバロック音楽をリードする場所となる。1703年、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルがヴァイオリン及びハープシコード奏者として加入する[2]。それから間もなくして、1705年に、ハンブルクでヘンデルのオペラ『ネロ(英語版)』の世界初演が行われる。
1721年、ドイツ・バロック音楽の中心人物だったゲオルク・フィリップ・テレマンがハンブルク・オペラに加わる[3]。その後数年のうちにクリストフ・ヴィリバルト・グルック、 ヨハン・アドルフ・ハッセのほか、様々なイタリアのカンパニーが客演した。 1827年に建設された州立歌劇場 改装後の建物(1890年)。1943年に破壊された。
1826年5月18日、老朽化した木造建築に替わるものとして、現在のハンブルク州立歌劇場がある位置で、新たな州立劇場の建築に着手する。新劇場は収容人数が2800名、着工から1年足らずで完成し、ベートーヴェンの劇付随音楽エグモントでこけら落としが行われた[1]。
1873年に建物の改装が行われ、外装と内装のいずれもが当時主流だったグリュンダーツァイト様式へと生まれ変わる[4]。1891年には、電気式の照明が導入された。
1879年、ベルンハルト・ポリーニ芸術監督の時代に『リング・チクルス』を初めて上演する。ワーグナーが死去した1883年には、そのオペラ作品9作を演奏する企画を始めた。芸術監督を務めたハンス・フォン・ビューロー(1887年から1890年まで)、グスタフ・マーラー(1891年から1897年まで)によって歌劇場の名声はさらに高まった。
20世紀初頭、オペラは劇場の主要なレパートリーとなった。1907-08年のシーズンでは、321の公演中282がオペラ公演であった。州立歌劇場では、すでに評価の確立した作品ばかりではなく、パウル・ヒンデミット『聖スザンナ』、イーゴリ・ストラヴィンスキー『兵士の物語』、エルンスト・クルシェネク『ジョニーは演奏する』、レオシュ・ヤナーチェク『イェヌーファ』といった新作の上演も行っていた。フェルッチョ・ブゾーニ作『花嫁選び』(1912年)と、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作『死の都』(1920年)の世界初演は、いずれもハンブルクで行われている。1930年代にヒトラーが権力を握ると、歌劇場はハンブルク州立オペラ(Hamburgische Staatsoper)と改称された[1]。
1943年8月2日夜、ホールとその付近の建物は、焼夷弾爆撃による空襲によって破壊された。低空飛行する爆撃機が、石油やリンを装填した弾を屋根に投下し、ホールは舞台部分を除いて灰塵に帰した[5]。 ホール内観 ホール内観 ホール内観 現在の内装