ハンブルクの倉庫街と
チリハウスを含む商館街
(ドイツ)
運河に面した倉庫群
英名Speicherstadt and Kontorhaus District with Chilehaus
仏名La Speicherstadt et le quartier Kontorhaus avec la Chilehaus
面積26.08 ha (緩衝地域 56.17 ha)
登録区分文化遺産
文化区分建造物群
登録基準(4)
登録年2015年(第39回世界遺産委員会)
公式サイト世界遺産センター
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街(ハンブルクのそうこがいとチリハウスをふくむしょうかんがい)はドイツの世界遺産の一つであり、ハンブルクが世界屈指の国際商業都市として急成長を遂げた19世紀後半から20世紀初頭の様子を伝える倉庫街(シュパイヒャーシュタット(英語版))[注釈 1]と商館街(コントーアハウス地区(ドイツ語版))[注釈 2]を対象としている。登録名にあるように、後者にはフリッツ・ヘーガー(英語版)による表現主義建築の傑作チリハウス(英語版)が含まれる。
目次
1 歴史
2 構成資産
2.1 シュパイヒャーシュタット
2.2 コントーアハウス地区
2.3 チリハウス
3 登録経緯
3.1 登録名
4 登録基準
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 参考文献
7 関連項目
歴史「ハンブルク#歴史」も参照
ハンブルクはかつてハンザ同盟の主要都市として栄えた[1][2]。しかしながら、現代のハンブルクの街並みには、そのころの面影は乏しい[3]。その一因は、ダイヒ通りが火元となったハンブルク大火(1842年)による焼失である[4]。
17世紀以降、ハンザ同盟は衰退に向かった。しかし、18世紀以降のハンブルクは、アメリカ合衆国の独立やラテンアメリカ諸国の相次ぐ独立に後押しされ、ハンブルク・アメリカ郵船会社が急成長を遂げたことをはじめ[5]、経済的に最盛期を迎えた[6]。 1890年頃のシュパイヒャーシュタット
ハンブルクは中世以来、経済的独立性を保ち、ドイツ関税同盟(1834年)が成立した後も加わることはなかったが、1871年のドイツ帝国成立で情勢が変化した。