ハンニバル
Hannibal, Missouri
市
マーク・トウェイン子ども時代の家と記念館
愛称: 西のルイビル、アメリカのホームタウン
ミズーリ州におけるマリオン郡(右図)と同郡におけるハンニバル市の位置
国 アメリカ合衆国
州 ミズーリ州
郡マリオン郡、ラルズ郡
政府
? 種別市マネジャー・市政委員会方式
? 市長 ロイ・ハーク市マネジャー ジェフ・ラガース
面積[1]
? 合計16.21 mi2 (41.98 km2)
? 陸地15.74 mi2 (40.77 km2)
? 水域0.47 mi2 (1.22 km2)
標高502 ft (153 m)
人口(2010年
ハンニバル(英: Hannibal)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の北東部、マリオン郡とラルズ郡に跨る都市である。州間高速道路72号線、アメリカ国道24号線、同36号線、同61号線が交わる位置にあり、セントルイス市の北西100マイル (160 km)、カンザスシティ市の東200マイル (320 km)、シカゴの南西300マイル (480 km) に位置している。2010年国勢調査での人口は17,606人だった。マリオン郡とラルズ郡で構成されるハンニバル小都市圏の中心都市である。
歴史ハンニバル市街地
ハンニバルの町はマーク・トウェイン(本名サミュエル・ラングホーン・クレメンス)少年時代の家があり、『トム・ソーヤーの冒険』および『ハックルベリー・フィンの冒険』の舞台となり、マーク・トウェイン自身やその小説に関わる多くの歴史的な場所があることで良く知られている。国内国外から多くの観光客を惹き付けている。マーク・トウェイン子ども時代の家と記念館は、2012年に100周年を迎え、全米50州、世界60か国からの訪問者を迎えた[6]。市民の多くが観光客を歓待し、町は観光業から大きな恩恵を受けている[7]。
ハンニバルの町となった場所は、まずインディアンが占有し、その後開拓者が入ってきた。1819年、モーゼス・ベイツが町として区画割りを行った[8]。元々スペインの土地払い下げが行われた場所にあり、土地を巡る多くの訴訟が起きた[9]。1830年の人口は30人に過ぎず、緩りと成長していたが、ミシシッピ川や鉄道を使った交通の便が良かったことで1850年には2,020人に成長していた。1843年にはサウスハンニバルの町を併合した[9]。1845年には「市」として認められた[8]。19世紀の後半から現在まで、家畜や穀物さらには地元で生産されるセメントや靴といった製品の地域市場中心として賑わってきた[10]。
エンパイア・ステート・ビルディングやパナマ運河に使われたセメントは、ハンニバルの近くにある未編入企業城下町イラスコにあるアトラス・ポルトランド・セメント・カンパニーが製造した[11]。
1846年、ジョン・M・クレメンス(マーク・トウェインの父)の事務所でハンニバル・アンド・セントジョセフ鉄道が組織化された時点で、ハンニバルはミズーリ州内第3の都市だった[12]。