ニュージャージー州ハンタードン郡
郡のニュージャージー州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1714年
郡庁所在地フレミントン
ハンタードン郡(英: Hunterdon County)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州の北西部にある郡。人口は12万8947人(2020年)[1]。郡庁所在地はフレミントン・ボロ(人口4,581人[2])[3]であり、同郡で人口最大の自治体はラリタン・タウンシップ(人口2万2185人[4])である。ニューヨーク都市圏に含まれる。
アメリカ合衆国商務省経済分析局に拠れば、2009年の一人当たり年収で国内3,113郡のうちの第19位、州内では第3位だった[5]。ハンタードン郡は1714年3月11日にバーリントン郡から分離して設立された。当時は現在のモリス郡、サセックス郡、ウォーレン郡の領域も含まれていた[6]。うねりのある丘陵と肥沃な土壌が大量の農作物を生み、インディアンやその後にヨーロッパ人を惹きつけていた。 紀元前12000年から11000年の間にパレオ・インディアンがこの地域に入って来ていた。気候の変動で当時は暖かかった。ウォーレン郡とサセックス郡にあったウィスコンシン氷河が北に後退していった。この地域はタイガ、北方林が育っていた。パレオ・インディアンは動物や食用にできる植物を探して小集団で移動していた。骨、碧玉、あるいは黒チャートでできた槍を使っていた。その宿営地は現在の表土の下深くにあるので、見つけるのは難しい。 インディアンもこの地域に入ってきたが、その時期は不明である。大半はミシシッピ川地域から入ってきた。デラウェア族の多くの部族が特にデラウェア川沿いとフレミントンの地域に住んだ。これら部族は農業を基本とし、トウモロコシ、豆、カボチャを育てた。ラリタン川南支流沿いに住んだ部族は漁労と農耕を行っていた。ラリタン川南支流沿いにはインディアン道があった。 インディアンから土地を購入することが1688年から1758年まで続いた。大規模な土地の購入は1703年、1709年、および1710年にあった。15万エーカー (610 km2) 以上の土地が、金属ナイフやポット、衣類、毛布、樽入りラム酒、あるいはリンゴ酒、銃、弾薬、弾丸と交換された。18世紀初期にはヨーロッパ人がこの地域に入ることができるようになった。1760年以後、インディアンのほぼすべてがニュージャージーを離れ、カナダ東部あるいはミシシッピ川地域に移住した。 最初のヨーロッパ人開拓者は1704年にレディング・タウンシップに入植したジョン・レディング大佐であり、続いて1705年にはランバートビルにジョン・ホルコームが入った。
歴史
パレオ・インディアンとその後のインディアン
ヨーロッパ人の入植
郡の設立ラリタン川南支流に架かる橋、カリフォンオールドウィック雑貨店