ハンセン病
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「ライ病」はこの項目へ転送されています。小児病の一つについては「ライ症候群」をご覧ください。

ハンセン病
発音[?l?pr?si][1]
概要
分類および外部参照情報
ICD-10A30
ICD-9-CM030
OMIM246300
DiseasesDB8478
MedlinePlus001347
eMedicinemed/1281 derm/223 neuro/187
Patient UKハンセン病
MeSHD007918
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ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen’s disease, leprosy)は、抗酸菌の一種である癩(らい)菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚マクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。

病名は、1873年に癩菌を発見したノルウェー医師アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病[注釈 1]」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる者も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。

感染経路は、癩菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。癩菌の感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることはないものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者への二次感染を生じることもある。

2018年の世界保健機関 (WHO) による統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は、年間約21万人である。一方で、日本の新規患者数は年間で0 - 1人に抑制され、現在では極めて稀な疾病となっている[2]。ハンセン病はWHOにより「顧みられない熱帯病 (NTDs)」に指定されている[3]
呼称癩病を患った夫と看病する妻を描いた月岡芳年の浮世絵。周囲から離婚を勧められても夫を見捨てることなく一家を支える妻に対して褒美が出たことを報じている。『郵便報知新聞』1875年

ハンセン病は古くから世界の各地に存在していた病気で、多くの古文書や宗教にハンセン病を思わせる記述が残されている。ただし、古文書に登場するleprosy、癩病と呼ばれたものはハンセン病以外の病気も含む可能性があることや、古文書でのleprosyやレプラの記述の意味を確認することは容易でなく、ハンセン病の起源、歴史の研究を難しくする要因となっている。

日本では「癩(らい)病」、「ハンセン病」の両方の呼称がある(それ以前には「ハンセン氏病」の表記もあった。下記も参照されたい。)。上述したとおり、公的な場での前者の使用は忌避される傾向がある。近代以前の「癩(病)」は一つの独立した「ハンセン病」という疾患以外の病気も含む概念であり、断りを併記して使用されることがある。

英語圏では leprosy, Hansen’s disease の両方が使用される。患者は leper(癩者)とも呼ばれるが、1953年に開催された第6回国際癩会議では、患者は leprosy patient と呼ぶことが推奨された。

従来、癩療養所は「レプロサリウム、Leprosarium」と呼ばれたが、「サナトリウム、sanatorium」の方がより一般的である。

以下に、ハンセン病の主な別称を概観する。
西洋における呼称と歴史

英語の「leprosy」や近代西洋語の同等の語、また日本語の「レプラ」は、古代ギリシア語で「λ?πρα(lepr?)」、ないしはその借用語であるラテン語の「lepra」に由来するが、その語史は次のように辿ることができる。「λ?πο?(lepos)皮・鱗」→「λεπερ??(leperos)皮・鱗を持った?」→「λεπρ??(lepros)鱗状の?、かさぶた状の?、レプラの?」→ その女性形「λ?πρα(lepr?)」[4]。この語の意味を巡っては議論が絶えない。少なくとも古代ギリシアにおいては、語源に見えるように「皮膚が鱗状・かさぶた状になる症状群」を指し、乾癬湿疹など幅広い皮膚疾患がこの名で呼ばれていた。ハンセン病の症状を含んでいたかどうかについては諸説ある。紀元前5?4世紀の古い使用例として、ヘロドトス歴史』〈1巻138節〉、アリストファネスアカルナイの人々』〈724行〉などがあり、またヒポクラテス集成の中では『予知論 II』〈43章〉などがある[注釈 2]

アリストテレスが「サテュリア」と呼んだものは、ハンセン病であったかもしれない。また、エフェソスのルフス(英語版)によれば、ギリシアの医者エラシストラトスの弟子ストラトンが「カコキミア(英語版)」と呼んだものは「象皮病」(後述)であったというが、いずれの場合もはっきりしない。

やや時代を下り、紀元前1世紀ころから、ギリシア語ないしはラテン語で「象 ?λεφα? , elephas」[5]または「象皮病 ?λεφαντ?ασι? , elephantiasis」[6]と呼ばれていたものは、おそらくハンセン病であったと考えられている。この病気は全身を冒すため、骨も悪くなるといわれている。身体の表面にさまざまな斑点や腫瘍ができ、それらの赤い色が徐々に黒褐色に変わっていく。皮膚の表面が均一的ではなく、厚かったり、薄かったり、硬かったり、柔らかかったりし、あたかも何かの鱗のように粗くなり、身体がしぼんでくるが、顔やふくらはぎや足首が腫れてくる。病気が古くなってくると手や足の指が腫瘍で隠れてしまうほどになる。熱が出ると、そうしたひどい状態の病人は容易に死へと追いやられてしまう。 ? ケルスス 『医学論』 第3巻25章より、[7]
聖書のツァラアトの日本語訳

七十人訳聖書(ギリシア語訳の旧約聖書)では、皮膚上の「??????? ツァーラアト」(レビ記13-14章 他)に対し、λ?πρα の訳語を与えている。ヘブル語の「ツァーラアト」もまた、具体的にどういった病気を指していたのかは特定困難であるが、レビ記13章の記述では「体毛や皮膚の白変、肉がくぼんだりくずれたりする、そして患部が広がっていく。」というような症例が人間に対してのツァーラアトで、これ以外に無生物(布・皮革など、他に14章にも「家屋」に対する説明もある。)に対するツァーラアトの例もあり、こちらは「赤や緑の染みが放置すると拡大していったり、洗濯してもおちない。」といった症例になっている。

日本聖書協会発行する『文語訳聖書』で「癩病」、『口語訳聖書』や『共同訳聖書』でも「らい病」と訳されているが、聖書の2002年版以降のもの、および『新共同訳聖書』では、別の日本語翻訳し直して対応している。旧約聖書『レビ記』13章の無生物に対するものは衣服につくカビと解釈して「悪性のかび」などとしたが、ほかは、ほぼすべて「重い皮膚病」とした。

国立療養所長島愛生園長島曙教会牧師大嶋得雄らは、この「重い皮膚病」を不適訳で、真実・愛・真心のある訳でないものであって聖書が差別 偏見を与えるものとなり、社会に悪影響を及ぼすとして不買を求めている[8][9]

2018年に刊行された『聖書協会共同訳聖書』では「規定の病」(律法で規定された病の意味)に変更された[10]

いのちのことば社発行する『新改訳聖書』第三版では「ツァラアト」と日本語に翻訳した。元来、旧約聖書原典に用いられたとみられるヘブル語であるが、原典がギリシヤ語である新約聖書での日本語訳版もこれに統一されている。

キリスト教会以外では、ものみの塔聖書冊子協会の発行する『新世界訳聖書』1985年版が「らい病」「らい病人」などとしていたが、聖書の中で「らい病」と訳されている原語(ヘブライ語のツァーラアト、ギリシャ語のレプラ)が、今日のハンセン病に限定されていない[11]ことから、マタイによる福音書分冊や2019年改訂版では「重い皮膚病」に改められている。
日本の古い呼称

奈良時代に成立した『日本書紀[注釈 3]、「令義解[注釈 4][注釈 5]には、それぞれ「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」という言葉が出ており、現在のハンセン病ではないかとされている[12]。「令義解」には「悪疾所謂白癩、此病有虫食五臓。或眉睫堕落或鼻柱崩壊、或語声嘶変或支節解落也、亦能注染於傍人。故不可与人同床也。」と極めて具体的な症状が書かれており、これが解釈の根拠になっている。この解釈が正しいとすると、これが世界最古の感染症に関する記述となる。ただし、ハンセン病以外の皮膚病を含んでいるという可能性も指摘されている。

鎌倉時代になると、漢語由来の「癩(らい)」や「癩病」が使われるようになった。

江戸時代になると、やまとことばで「乞食」を意味する「かったい(かたい)」という言葉も使用されるようになった。この言葉は、一般には江戸時代まで使われたが、第二次世界大戦後まで使用された地域もあった。方言としては「ドス」、「ナリ」、「クサレ」、「ヤブ」などの蔑称も使用された。沖縄においてハンセン病、或いは患者は「クンキャ」と呼ばれ、忌避される存在だった。

昭和時代に入ると、ドイツ語またはラテン語である「lepra(レプラ)」の言い換え語として、片仮名表記のレプラという言葉も使用された[注釈 6]。「レプラ」は島木健作織田作之助の作品などに散見される。また、日本癩学会が発行する機関誌名にも使用された。
Hansen’s disease(ハンセン病)への改称

1873年にアルマウェル・ハンセン癩菌を発見したことにより、「Hansen’s disease, HD」という名称が使われるようになった。1931年のマニラの国際会議における発言をきっかけとして、アメリカ合衆国のカーヴィル療養所入所者が発行している「The Star」誌(1941年創刊)を中心に活動が行われた。1946年にスタンレー・スタインが癩諮問委員会に提言したが受け入れられず、1952年にアメリカ医師会が「leprosy」を「Hansen’s disease」に変更することで改名が実現した。

日本でも、療養所入所者を中心に「癩病」から「ハンゼン氏病」への改名の動きが現れた。当初の名称が「ハンゼン氏病」と濁音表記になっているのはドイツ語訳の影響である。1953年(昭和28年)2月1日に「全国国立癩療養所患者協議会(全癩患協)」は「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会(全患協)」に改称した。しかし厚生省はその後も「癩」を平仮名の「らい」に変更するのみにとどまり、専門学会も「日本らい学会」と呼ばれ「らい」が使用され続けた。その一方で、大阪皮膚病研究会や、那覇宮古島のハンセン病外来施設である皮膚科診療所などでは、「癩病」の使用は忌避された。1959年(昭和34年)に全患協はより一般的な英語読みの「ハンセン氏病」に改称し、さらに1983年(昭和58年)には、「氏」を削除して「ハンセン病」へと改称した。1996年(平成8年)のらい予防法廃止後は、官民ともに「ハンセン病」が正式な用語となり、「日本らい学会」も「日本ハンセン病学会」に改称された。

東洋医学では、元来、「大風(麻風)」や「癘風」(れいふう)[注釈 7]とも呼ばれていたが、アルマウェル・ハンセン(漢生)の名を取った「漢生病」が一般的な呼称となった。2008年には台湾でも名称を「漢生病」とする事が法的に定められた。
ハンセン病の原因抗酸菌染色の像。らい菌は赤色に染色されている[13]
らい菌について細菌学的特徴については「らい菌」を参照

らい菌のヒト以外の自然感染例には、3種のサルチンパンジーカニクイザル、スーティーマンガベイ)とココノオビアルマジロがある[14]アルマジロは正常体温が30?35℃と低体温であり、らい菌に対し極めて高い感受性があるとされている。

1971年にらい菌に対する感受性があることが明らかになって以降、ココノオビアルマジロはハンセン病の研究に用いられてきたが、1976年、突然変異により胸腺を欠いて免疫機能不全に陥ったヌードマウスに感染・発症することが明らかになり、現在の研究は主に当該マウスで行われるようになった[15]
感染源

感染源は、菌を大量に排出するハンセン病患者(特に多菌型、LL型)である。ただし、ハンセン病治療薬の1つであるリファンピシンで治療されている患者は感染源にはならない[16]

昆虫、特ににらい菌が感染して、ヒトにベクター感染することもあるため、昆虫も感染源になり得るという報告がある。ゴキブリによる結核菌の移動実験により証明されたという報告もあるが、否定的な意見も多い。

その他、ルイジアナアーカンソーミシシッピテキサスの低地のココノオビアルマジロかららい菌が検出されており、アルマジロから人間に感染するルートの検討[17]や、自然界、特に川などに存在するらい菌が経鼻感染にて感染するルートの検討[18]もある。


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