ハンス・カロッサ
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Hans Carossa
誕生
1878年12月15日
バイエルン王国 バート・テルツ
死没 (1956-09-12) 1956年9月12日(77歳没)
西ドイツ、ノイキルヒェン・バイム・ハイリゲン・ブルート
職業開業医小説家詩人
国籍 ドイツ
活動期間1910年 - 1955年
代表作自伝的な数篇の小説
主な受賞歴ゴットフリート・ケラー賞(1931年
ゲーテ賞1938年
デビュー作ドクトル・ビュルガーの最後(1913年)
影響を受けたもの

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

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ハンス・カロッサ(Hans Carossa,(1878年12月15日 - 1956年9月12日))はドイツ開業医小説家詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。
目次

1 経歴

2 おもな著作

2.1 小説

2.2 詩

2.3 その他


3 翻訳

3.1 全集

3.2 単行本


4 出典

5 関連項目

経歴

バイエルン王国(現在のドイツバイエルン州)バート・テルツ (Bad Tolz) に生まれた。父も祖父も医師であった。父方の祖はイタリア人で、本来の苗字はカロッツァであった。1886年、一家が転居したピルスティング (Pilsting) の小学校に入り、1888年、ランツフートギムナジウムへ進み、15歳の頃からヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを読んだ。詩作も試みた。

1897年、19歳でミュンヘンに出て、ミュンヘン大学ヴュルツブルク大学ライプツィヒ大学で医学を修め、かたわら、詩人や作家と交友し、詩を新聞雑誌に載せた。1903年、医師となり、パッサウで父の代診を始めた。この頃結婚した。1905年、医学博士の学位を取得した。詩人リヒャルト・デーメル (Richard Dehmel) やフーゴ・フォン・ホーフマンスタールに近づき、1910年に『詩集』を、1913年に『ドクトル・ビュルゲルの最後』を出版した。

1910年、36歳でニュルンベルクへ移るが、1914年の第一次世界大戦勃発直後、ミュンヘンへ移住した。ここでシュテファン・ゲオルゲライナー・マリア・リルケを知った。志願して軍医となり各地に転戦し、陣中で『幼年時代』や『ルーマニア日記』の草稿を綴ったが、負傷して帰還した。

その後、ドナウ川畔のゼーシュテッテン (Seestatten) へ移り、自らの経験にもとづく数篇の小説を書いた。また頻繁にイタリアへ旅行した。1931年チューリッヒゴットフリート・ケラー賞を、1938年フランクフルト・アム・マインゲーテ賞を受賞した。


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