ハンジロウ
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ハンジロウ
左からたーにー、しゅうごパーク
メンバーたーにー
しゅうごパーク
別名しゃもじ(旧名)
結成年2003年
事務所オリジン
ライジングプロダクション
マセキ芸能社
活動時期2003年 -
出身フレッシュお笑い選手権
出会い沖縄県立沖縄工業高等学校
旧コンビ名しゃもじ
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者両者
現在の代表番組チョッピリチンチン
過去の代表番組ふくらむスクラム!!
1ばんスクラム!!
公式サイトプロフィール
受賞歴
2006年 CSファミリー劇場「ますだおかだの出たぁトコ勝負L-1グランプリ」優勝
2007年 OTV「第1回 O-1グランプリ」優勝
2010年 第3回「お笑い全日本カップ」優勝
2023年 第5回「ビートたけし杯 お笑い日本一」優勝[1]
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ハンジロウは、マセキ芸能社に所属する日本のお笑いコンビTHE SECOND?漫才トーナメント? 2024ファイナリスト。2人とも沖縄県那覇市首里出身。2003年から2008年までは沖縄の芸能事務所・オリジン、その後は2013年5月までヴィジョンファクトリー(現:ライジングプロダクション)に所属していた。2022年5月までは「しゃもじ」というコンビ名で活動していた。
メンバー[ソースを編集]

たーにー(本名:砂川 尚吾〈すながわ しょうご〉、 (1984-12-27) 1984年12月27日(39歳) - )

主にボケ(コントではツッコミ)担当、立ち位置は向かって左。

血液型A型。

亡祖父は東映の元映画カメラマンの仲沢半次郎[注釈 1]。半次郎の名が改名後のコンビ名の由来となっている(後述)。


しゅうごパーク(本名:金城 秀吾〈きんじょう しゅうご〉、 (1985-03-04) 1985年3月4日(39歳) - )

主にツッコミ(コントではボケ)担当、立ち位置は向かって右。

血液型A型。


来歴[ソースを編集]

高校在学中から沖縄の登竜門的アマチュアお笑い選手権「フレッシュお笑い選手権」で優勝するなど活躍し[4]、アマチュア時代から沖縄県内で注目を浴びる。最初の「しゃもじ」というコンビ名は、この高校生時代に「何も考えず軽いノリで適当に」つけた(しゅうご談)というコンビ名だった[5]

2003年4月、2人の高校卒業を機として本格的に沖縄のローカル芸人として活動を開始。2009年より活動拠点を東京に移す。妻子は沖縄に置いてきており、東京へは単身赴任である。2013年6月よりマセキ芸能社に所属。

沖縄時代は漫才[6]をメインとしていたが、上京後はコントも頻繁に演じるようになった。

同じく沖縄出身の与座よしあきキャン×キャンとのユニット「ヨジャモキャン」としても活動する。

M-1グランプリには2018年に出場資格を失い、2021年には与座よしあきとのユニット「人人」として出場し準々決勝まで進出した[7]

2022年6月1日、コンビ名を「しゃもじ」から「ハンジロウ」に改名[8]。「しゃもじ」は「人の10倍の苦労をしてやっと食えるようになるぐらい」といったことを占い師に言われるなど、その後も良くない名前だと言われ続けたうえ、連続テレビ小説ちむどんどん』で共演した片岡鶴太郎からも「適当につけたうえ、字画もダメな名前なら本当に良くない」と言われ、改名を決意した。新コンビ名を考えていく中、たーにーの亡祖父の仲沢半次郎の名が出た時にたーにーがしっくり来たような顔をしたことから、半次郎の名をもらうことにして島田秀平に相談したところ、「ハンジロウとカタカナ表記にすれば“大大吉”」と言われ、「ハンジロウ」に決定した[5]

かもめんたる槙尾ユウスケの経営する間借り営業形式のスパイスカレー専門店「三軒茶屋カリガリ マキオカリー」の系列店として、2021年9月よりたーにーが店長の「五反田カリガリ マキオタニカリー」(西五反田)[9]、2022年12月よりしゅうごパークが店長の「上野カリガリ マキオカリー パーク店」[10]を運営している。
賞レース戦歴[ソースを編集]
M-1グランプリ[ソースを編集]

年度結果エントリー

No.会場日程
2015年第11回)準々決勝進出[6]2432[東京] 浅草公会堂11月3日
2016年第12回)2回戦進出[6]880[東京] 雷5656会館ときわホール10月11日


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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