ハングル専用
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出典検索?: "ハングル専用文と漢字ハングル混じり文" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年11月)

ハングル専用文と漢字ハングル混じり文(ハングルせんようぶんとかんじハングルまじりぶん)では、朝鮮語を表記する際に、 ハングルのみとするか、漢字(ハンチャ)を混ぜるかについて述べる。また、これらとしばしば同時に議論される朝鮮語における言語純化運動についても述べる。目次

1 概要

2 李氏朝鮮時代

3 日本統治時代

4 戦後

4.1 韓国

4.1.1 国語基本法

4.1.1.1 沿革

4.1.1.2 構成と主な内容



4.2 北朝鮮


5 ハングル専用と漢字復活論

6 表記例

7 脚注

8 参考文献

9 関連項目

10 外部リンク

概要

ハングルを専用する文章や、その主張は、韓国では主に「????(-專用)(ハングル専用)」と呼ばれ、漢字の熟語外来語を純粋な朝鮮固有語に置き換えようとする言語改革運動(国語醇化、ko:????? ????)ともしばしば合流する。

一方、漢字と混用するものは、現地では「???(國漢文)」や「?????(國漢文混用)」と呼ばれる。日本では、漢字ハングル混じり(交じり)文や漢字ハングル混用文と呼ばれるが、国漢文と言った場合は、後述する日本統治時代に、日本の井上角五郎が提案し、朝鮮人儒学者が創造した古典中国語直訳体の朝鮮語文のことに限定する場合がある。ハングルが固有語を、漢字が漢字語を記す点で、日本語漢字かな混じり文とも比較される。
李氏朝鮮時代

ハングルは、李氏朝鮮第4代国王世宗の代に創製され、膨大な文化資本を必要とする漢字・漢文の学習が困難な一般の庶民、とりわけ女性や子どもの識字率向上に大いに役立った。李朝中後期には両班の中にハングルを用いた文芸活動にあたるものが登場し、漢字ハングル混じり文で書かれた小説、さらにはハングル専用文で書かれた作品が現れた。これらの中には朝鮮王朝期文学の最高峰とも評される『春香伝』などが含まれていた。

しかし、守旧派儒学者による漢字至上主義は、ハングルの公用文書への使用を阻害し、李朝の公文書漢文で作成されていた。実務文書でもハングルは漢字表記朝鮮語(吏読)を主としていた。ハングルと漢字混じりの文章が公文書に採用されたのは、李朝最末期であった。

1882年、壬午事変の事後処理の修信使として日本にやってきた朴泳孝福澤諭吉と出会い、福澤は「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には、朝鮮語(ハングル)による新聞の発行が不可欠」と説き、開化派と福沢の弟子の井上角五郎の協力により、『漢城旬報』を経て、朝鮮初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された[1]。「ハングル#歴史」、「吏読」、および「訓民正音」も参照
日本統治時代

漢字ハングル混じり文
各種表記
ハングル:?????
漢字:國漢文混用
発音:クカンムンホニョン
日本語読み:こくかんぶんこんよう
ローマ字:Gukanmunhonyong
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漢字ハングル混じり文の『毎日新報』(1945年8月14日)

日本統治時代の学校教育とメディアにより、ハングル(漢字混じり)は飛躍的に普及した。学校教育における教授言語は日本語となったが、日本統治時代の前期から中期にかけて朝鮮語も科目の一つとし、漢字とハングルを教えた。こうして、この時代を中心に近代的概念を示す和製漢語や日本語発音の単語などが朝鮮に数多く導入された[2]

一方、朝鮮後期から日本統治時代にかけての朝鮮民族主義の高まりにより、ハングルを民族文化の重要な要素とみなす言語学者もいた。
戦後
韓国

1948年大韓民国建国と同時に、ハングル専用法を制定[3]。訳文:「大韓民国の公文書は、ハングルで書く。ただし、当面の間、漢字を括弧に入れて使用することが出来る[4]。」 李承晩の独裁に対して蜂起する市民。


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