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ハンク・ジョーンズ
Hank Jones
ハンク・ジョーンズ(2005年)
基本情報
出生名Henry Jones
生誕 (1918-07-31) 1918年7月31日
出身地 アメリカ合衆国 ミシシッピ州ヴィックスバーグ
死没 (2010-05-16) 2010年5月16日(91歳没)
ジャンルジャズ
職業ピアニスト、バンドマスター、作曲家、客員教授
担当楽器ピアノ
活動期間1930年代 - 2010年
レーベルヴァーヴ、サヴォイ、エピック、キャピトル、Argo、インパルス、コンコード、Chesky、ソニー
共同作業者エラ・フィッツジェラルド、エミリー・レムラー、チャーリー・ヘイデン、ナンシー・ウィルソン、チャーリー・パーカー、サリナ・ジョーンズ、ロバータ・ガンバリーニ
ハンク・ジョーンズ(1985年)
ハンク・ジョーンズ(Hank Jones、1918年7月31日 - 2010年5月16日)は、アメリカ人のジャズ・ピアニスト、バンドマスター、作曲家。
1989年にNEAジャズ・マスターズ、2008年にアメリカ国民芸術勲章を授与されている。
評論家やミュージシャンたちは、ジョーンズが雄弁で、リリカルで、非の打ちどころがないと述べている。演奏スタイルはスウィングに留まらず独自の成長を続け、特に彼から生み出される個性的な美しいハーモニーとソロ、優しく、時に力強い繊細なタッチは評価が高い。
ハンク・ジョーンズは、彼自身の名義で60以上のアルバムを録音しており、ゲストとして600枚を超えるレコード・CDに参加して録音した。 ヘンリー・"ハンク"・ジョーンズはミシシッピ州ビックスバーグで生まれて、ミシガン州ポンティアックに移った。そこで、バプティスト助祭であり材木検査官であった彼の父親は、3階建てのレンガ造りの家を買った。ハンクは、10人の子供のひとりであり、音楽一家で育てられた。彼の母親は歌手であり、彼の2人の姉がピアノを習っていた。そして、彼の2人の弟、サド・ジョーンズ(トランペッター)およびエルヴィン・ジョーンズ(ドラマー)も、世界的に有名なジャズ・ミュージシャンとなっている。 ハンクも幼時からピアノを習っており、アール・ハインズ、ファッツ・ウォーラー、テディ・ウィルソン、アート・テイタム等の影響を受けるようになった。13歳までには、ハンクはミシガンとオハイオで演奏していた。グランドラピッズとランシングのテリトリー・バンドで演奏していた1944年に、ハンクはラッキー・トンプソンに会った。ラッキー・トンプソンは、ハンクにニューヨークのオニキス・クラブでホット・リップス・ページ
来歴
初期
ニューヨークでは、ハンクは、定期的に一流のバップ・ミュージシャンの演奏を聴いて、新たなスタイルを習得するに至る刺激を受けた。この頃のハンクは猛練習と平行して、ジョン・カービー、ハワード・マギー、コールマン・ホーキンス、アンディ・カーク(英語版)、およびビリー・エクスタイン、スタン・ゲッツ等と働き、それらの一部は、LPとして録音された。また、親友レイ・ブラウンとは、この当時から50年以上、膨大なセッションを行い、多くのLPで共演していくこととなる。
1947年には、初のリーダー・アルバム『アーバニティ(英語版)』を録音。またノーマン・グランツのジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)としてツアーを始めた。1948年から1953年まで、ハンクはエラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務めた。そして、1948年秋にイギリスで彼女の伴奏をしながら、並はずれたテイストと洗練されたハーモニーの能力を発展させた。
この期間、ハンクはチャーリー・パーカーと共にいくつかの歴史的に重要な録音を行っている。その中には『Now's the Time』に納められた「歌こそは君」も含まれている。この曲は、ベースのテディ・コティック(英語版)、ドラムのマックス・ローチ等と共に1952年12月に録音されている。
また、ハンクとチャーリー・パーカーとの共演は、ジャズ映像史上最大の発見とも言われる『インプロヴィゼーション』(DVD映像)にも残されている。この映像には、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルドなどスターの多くが集まっている。
1955年以降ますますハンクの信頼は増し、人気ピアニストとして、ポール・チェンバース、レスター・ヤング、ヘレン・メリル、ミルト・ジャクソン、フランク・ウェスなど、数多くのスター・プレイヤーとの録音もなされている。
親日派で知られるハンクだが、1957年に、ベニー・グッドマン楽団のピアニストとして初来日している。
1958年には、ジャズの歴史的名盤『サムシン・エルス』でキャノンボール・アダレイ、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキーらと共演した。
1959年から1975年は、ハンクは録音活動を続ける一方、CBSスタジオのスタッフ・ピアニストを務めた。この時代には『エド・サリヴァン・ショー』でフランク・シナトラ、クリス・コナー、ウェス・モンゴメリー、ビリー・ホリデイ、ズート・シムズ、1960年に注目を集めた『デューク・エリントンの肖像(英語版)』でのディジー・ガレスピーとの共演も含まれ、引き続き多くの録音をし、テレビ出演することもあった。