ハンガリーの国章
詳細
使用者ハンガリー
採用19世紀
1990年7月3日
クレスト聖イシュトヴァーンの王冠
盾右:3つの丘の上の王冠と二重十字架、左:赤と銀(アールパード朝)のストライプ
使用紙幣、政府の建物、公立学校
ハンガリーの国章(ハンガリーのこくしょう)は1990年7月3日に制定された。
1990年までの社会主義的紋章を廃して、ハンガリー王国時代の国章を復活したもの。
構成
盾は2つに分割されており、左に13世紀のアールパード王家の紋章、右に12世紀以来伝統的なハンガリー王国の紋章が置かれている。
左側には13世紀のアールパード王家が用いた赤地に銀の四本縞の紋章が置かれている。
右側には、赤地に銀の二重十字(総主教十字
12世紀頃のハンガリー王国の紋章は、赤い盾に銀でビザンツ帝国に由来する改宗のシンボル、ペイトゥリアーカルの十字(二重十字)を描き、聖イシュトヴァーンの王冠を被せたものであった。この頃、王冠の上の十字はまだ直立していた。
13世紀にアールパード王家が、赤地に4つの川(ドナウ川、ティサ川、ドラーヴァ川、サヴァ川)を表す4本の銀の縞を置く「アールパード・ストライプ」を紋章とする。アールパード・ストライプは現在盾の左に描かれている。
14世紀に二重十字の下に緑の3つの丘と小さな金の王冠が描き加えられるようになった。この丘は、タトラ山、ファトラ山、マートラ山の三山を象徴していると考えられている。この紋章は現在盾の右側に描かれている。タトラ山脈と大ファトラ山脈は現在スロバキア領内となっており、マートラ山地だけがハンガリー領内にある。
18世紀に聖イシュトヴァーン王冠の上の十字が傾く。理由は不明だが、これは現在まで踏襲されている。17世紀に実際の聖イシュトヴァーン王冠頂上の十字架が曲がったことが原因と思われる。
19世紀に、ハプスブルク家のもと、現在の国章のスタイルが完成した。
1849年、革命の中で、コシュート・ラヨシュによって紋章から王冠が取り外される。
1949年、ソ連の支配下で、麦の束に麦の穂とハンマーが交差する上に共産主義の赤い星が輝く社会主義的な国章デザインを制定。
1957年、ハンガリー動乱を受けて、国民感情緩和のため、麦の穂とハンマーに代えてハンガリー国旗の赤白緑に塗られた盾が麦の束の中心に置かれた。
1990年、19世紀の紋章を復活。
ギャラリー