ハワード・ストリンガー
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ハワード・ストリンガー
Howard Stringer
2009年9月、メトロポリタン歌劇場にて
生誕Howard Stringer
(1942-02-19) 1942年2月19日(82歳)
イギリスウェールズカーディフ
住居 イギリス アメリカ合衆国ニューヨーク 日本
国籍 イギリス アメリカ合衆国
出身校アウンドル・スクール(英語版)
オックスフォード大学・大学院
職業ジャーナリスト、TVプロデューサー実業家
活動期間1965 -
給料2010年 8億1650万円(ソニー会長)[1]
2012年 8億5300万円(ソニー会長)
任期CBS社長(1988 - 1995)
テレ-TV会長兼CEO(1995 - 1997)
ソニー会長兼CEO(2005 - 2012)
ソニー社長(2009 - 2012)
前任者出井伸之(ソニー会長兼CEO)
中鉢良治(ソニー社長)
小林陽太郎(ソニー取締役会議長)
後任者平井一夫(ソニー社長兼CEO)
宗教キリスト教(カトリック教会
配偶者ジェニファー・パターソン
親ハリー・ストリンガー(父親)
マージョリー・メアリー(母親、旧姓プーク)
親戚ロバート・ストリンガー(英語版)(弟)
受賞エミー賞(1974年)
エミー賞(1975年)
エミー賞(1976年)
エミー賞ATAS Broadcast Journalism Award(1978年)
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サー・ハワード・ストリンガー(Sir Howard Stringer、1942年2月19日 - )は、イギリスのウェールズ出身で、アメリカ合衆国で活躍するジャーナリスト、TVプロデューサー実業家である。1985年にアメリカ市民権を取得した。CBS本社社長、テレ-TV(英語版)の会長兼CEO、ソニー会長兼社長兼CEOなどを歴任した。

ソニーの経営トップに外国人が就任することは、ソニー創業以来、初の人事であった。ソニーCEO就任時には4,000円台であったソニーの株価(東証)だが、退任時には1,000円台にまで落ち込み、市場からは極めて厳しい評価を受けた。ソニー関係者からは「ものづくりに関心がない」との批判が多く、人員削減などのリストラを繰り返したが、ソニーのウォークマントリニトロンなどのようなヒット商品を生み出すことはなかった[2]

また、エリザベス2世女王から「ナイト」(士爵)の称号を得ている。

1978年にはエミー賞の放送ジャーナリズム賞を受賞し、2003年には英国映画テレビ芸術アカデミーのキュナード・ブリタニア賞を受賞するなど、多くの賞を得ている[3]
出生

1942年ウェールズカーディフで生まれる。少年時代は裕福ではなく、奨学金をもらってパブリック・スクールであるアウンドル・スクール(英語版)(ノーサンプトンシャー)で学び、オックスフォード大学に進学、同大学の大学院を修了した。大学では近代史学を専攻して文学士、大学院では文学修士の学位を取得した[4]

2017年4月からアメリカソニー・ミュージックエンタテインメントのCEOに就任しているロブ・ストリンガー(英語版)は実弟である[5]
キャリア
CBS時代

1965年2月、200ドルだけ持ち米国に移住し同年4月に米国の放送局CBSに入社するも、翌月米陸軍に徴兵されベトナム戦争に従軍。従軍理由について、移住先の米国では経済的に厳く生活が苦しかった故に、軍事特別手当てが支給されるアメリカ軍へ入隊したと『CBSドキュメント』のインタビューで語っている。後年、アメリカ軍より勲章を授与されている。

ベトナム戦争から帰還後、CBSに復帰。

ジャーナリスト・テレビ製作者として、30年以上のキャリアを同局で築いた。

いわゆるCBSドキュメントの制作に携わった。「パレスチナ解放機構(PLO)」や「アイルランド共和軍(IRA)」・「ボートピープル」などいずれもハードな内容の報道である。

1974年から1976年にはライター、監督、ディレクターを務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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