ハワード・ストリンガー
Howard Stringer
2009年9月、メトロポリタン歌劇場にて
生誕Howard Stringer
(1942-02-19) 1942年2月19日(82歳)
イギリス・ウェールズ・カーディフ
住居 イギリス、 アメリカ合衆国・ニューヨーク、 日本
国籍 イギリス、 アメリカ合衆国
出身校アウンドル・スクール
サー・ハワード・ストリンガー(Sir Howard Stringer、1942年2月19日 - )は、イギリスのウェールズ出身で、アメリカ合衆国で活躍するジャーナリスト、TVプロデューサー、実業家である。1985年にアメリカ市民権を取得した。CBS本社社長、テレ-TV(英語版)の会長兼CEO、ソニー会長兼社長兼CEOなどを歴任した。
ソニーの経営トップに外国人が就任することは、ソニー創業以来、初の人事であった。ソニーCEO就任時には4,000円台であったソニーの株価(東証)だが、退任時には1,000円台にまで落ち込み、市場からは極めて厳しい評価を受けた。ソニー関係者からは「ものづくりに関心がない」との批判が多く、人員削減などのリストラを繰り返したが、ソニーのウォークマンやトリニトロンなどのようなヒット商品を生み出すことはなかった[2]。
また、エリザベス2世女王から「ナイト」(士爵)の称号を得ている。
1978年にはエミー賞の放送ジャーナリズム賞を受賞し、2003年には英国映画テレビ芸術アカデミーのキュナード・ブリタニア賞を受賞するなど、多くの賞を得ている[3]。 1942年にウェールズのカーディフで生まれる。少年時代は裕福ではなく、奨学金をもらってパブリック・スクールであるアウンドル・スクール
出生
2017年4月からアメリカのソニー・ミュージックエンタテインメントのCEOに就任しているロブ・ストリンガー(英語版)は実弟である[5]。
キャリア
CBS時代
1965年2月、200ドルだけ持ち米国に移住し同年4月に米国の放送局CBSに入社するも、翌月米陸軍に徴兵されベトナム戦争に従軍。従軍理由について、移住先の米国では経済的に厳く生活が苦しかった故に、軍事特別手当てが支給されるアメリカ軍へ入隊したと『CBSドキュメント』のインタビューで語っている。後年、アメリカ軍より勲章を授与されている。
ベトナム戦争から帰還後、CBSに復帰。
ジャーナリスト・テレビ製作者として、30年以上のキャリアを同局で築いた。
いわゆるCBSドキュメントの制作に携わった。「パレスチナ解放機構(PLO)」や「アイルランド共和軍(IRA)」・「ボートピープル」などいずれもハードな内容の報道である。
1974年から1976年にはライター、監督、ディレクターを務めた。