この項目では、ミュージカルについて説明しています。
映画については「ハロー・ドーリー! (映画)」をご覧ください。
キャロル・チャニングの曲については「ハロー・ドーリー! (キャロル・チャニングの曲)
Hello, Dolly!
ハロー・ドーリー!
作曲ジェリー・ハーマン
作詞ジェリー・ハーマン
脚本マイケル・スチュワート
原作The Matchmaker
by ソーントン・ワイルダー
上演1964年、ブロードウェイ
1965年、ウエスト・エンド
1965?66年、オーストララシア・ツアー
1969年、映画『ハロー・ドーリー!』
1975年、全黒人出演者によるブロードウェイ再演
1978年、ブロードウェイ再演
1995年、ブロードウェイ再演
1996年、メキシコシティ
2001年、マドリード
2009年、ウエスト・エンド再演
2017年、ブロードウェイ再演
2017年、メルボルン
受賞トニー賞 ミュージカル作品賞
トニー賞 作詞作曲賞
トニー賞 脚本賞
トニー賞 再演ミュージカル作品賞
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『ハロー・ドーリー!』(Hello, Dolly!)は、1964年のアメリカのミュージカル。マイケル・スチュアート(英語版)がミュージカル脚本を執筆した。楽曲はジェリー・ハーマン(英語版)が作詞・作曲を行なった。1938年のソーントン・ワイルダーの笑劇『The Merchant of Yonkers 』(1955年に『The Matchmaker 』に改訂)を基にしている。ニューヨーク州にて、頑固な仲人ドリー・ギャラガー・リーヴァイが、著名で裕福な独身のホレス・ヴァンダゲルダーに仲介するためヨンカーズに向かう。その際、ドリーはホレスの姪、その恋人、ホレスの従業員2人をニューヨークに向かわせる。
1964年、デイヴィッド・メリックのプロデュースによりブロードウェイでキャロル・チャニング主演で初上演され、トニー賞においてミュージカル作品賞、ミュージカル主演女優賞をはじめ『南太平洋』と同数の10部門を独占状態で受賞し、37年間この記録を保持していた。2002年、キャスト・レコーディング・アルバム『Hello, Dolly! An Original Cast Recording 』がグラミー殿堂入りした[1]。1964年6月6日、このアルバムはビルボード誌アルバム・チャートで第1位を獲得し、翌週はルイ・アームストロングのアルバム『Hello, Dolly! 』が第1位を獲得した[2]。
ブロードウェイにて4回再演されただけでなくアメリカ国外でも上演され、ブロードウェイを代表する演目となった。1969年には映画『ハロー・ドーリー!』が制作され、アカデミー賞7部門にノミネートされ、3部門で受賞した。 1842年のオーストリアの脚本家ヨハン・ネストロイの戯曲『楽しき哉憂さ晴らし
経緯
当初、ドリー役はエセル・マーマンが演じるとして執筆されたが、マーマンが降板し、メアリー・マーティンも同様に降板した(ただしのちに2人ともこの役を演じた)[3]。メリックはナンシー・ウォーカーのオーディションを行なった。最終的にキャロル・チャニングに決まり、当たり役となった[5]。演出はハロルド・プリンス、ジェローム・ロビンズ、ジョー・レイトンが降板し、ガワー・チャンピオンが就任した[6]。
デトロイト、ワシントンD.C.で行なわれた試験興行では問題が山積みとなった[5]。レビューを受け、制作は脚本および楽曲に大幅な変更を加え、新曲『Before the Parade Passes By 』を追加した[7]。当初題名は『Dolly, A Damned Exasperating Woman 』、『Call on Dolly 』であった[8]。しかしメリックはルイ・アームストロングの曲『Hello, Dolly 』を聴いて改題した。このミュージカルはブロードウェイの定番作品の1つとなり、1960年代後半、2,844回上演され、ブロードウェイ史上ロングラン公演作品の1つとなった。この時代のミュージカルにおいて、上演回数1,000回以上は10作品、2,000回以上は3作品あり、ブロードウェイ・ミュージカルが再び盛り上がりを見せていた[9]。 19世紀後半のニューヨーク。お節介で面倒見のいい未亡人ドーリーは恋の悩みも「全て私にお任せ」 ("Just Leave Everything to Me")と街で名刺を配り歩き、マッチメーカー(仲人業)で暮らしている。ドーリーが密かに気になる相手は、郊外の田舎町ヨンカーズ で飼料店を営み、金持ちだがケチで頑固者のホレス。再婚を望むホレスはドーリーに帽子屋の女主人アイリーンを紹介され、さっそくプロポーズに向かう。一方、ホレスの姪アーメンガードは貧乏画家アンブローズとの結婚に反対され、駆け落ち寸前。アンブローズの相談に、ドーリーはある作戦を立てる。コーネリアスとバーナビーは、雇い主のホレスに内緒で、本当の恋を見つけるためニューヨークに旅立ち、アイリーンとその従業員ミニーに出会うが、彼女の店でホレスに遭遇。慌てて身を隠すと、男性の気配を察したホレスは怒って店を出た。この状況をうまく収めようと、ドーリーは、コーネリアスたちに4人で高級レストランのハーモニア・ガーデンに行くよう提案する。関係者が勢揃いしたレストラン高級料理店で、食事したものの皆、金がなく、アイリーンたちは逃げ出してしまった。そんな騒ぎの後で、ホレスはドーリーを見直し、結婚を申し込んだ。ドーリーは、青空を渡るような風のように幸福だった。 2017年3月から、ブロードウェイでベット・ミドラー主演で上演予定[10]。 芝居としては1988年に地人会が第26回公演「めいっぱいに夢いっぱい」として上演。演出・木村光一、主演・上月晃・前田美波里・名古屋章で、本多劇場などで公演し、1990年にも労演の公演として全国を回る。 ミュージカルとしては2012年2月3日?5日、富山県出身で宝塚のトップスターだった剣幸の主演で、富山市民文化事業団の企画により、オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール)で初演された。2013年8月16日?18日に、オーバード・ホールにて再演。同年8月23日?25日には、東京芸術劇場でも上演された。 同名の主題曲『ハロー・ドーリー!(英)
ストーリー
プロダクション
2017年、ブロードウェイ再演
日本での上演
文化的影響