ハロルド坂田
プロフィール
リングネームハロルド坂田
トシ東郷
本名ハロルド・トシユキ・サカタ
ニックネーム日系の怪腕
身長178cm[1]
体重104kg(全盛時)[1]
誕生日1920年7月1日[2]
死亡日 (1982-07-29) 1982年7月29日(62歳没)[2]
出身地 アメリカ合衆国
ハワイ州
ハワイ郡ホルアロア[2]
スポーツ歴ボディビル[1]
重量挙げ[1]
デビュー1949年[2]
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オリンピック
アメリカ合衆国
重量挙げ
オリンピック
銀1948 ロンドンライトヘビー級
ハロルド坂田(Harold "Toshiyuki" Sakata、1920年7月1日 - 1982年7月29日[3])は、アメリカ合衆国のプロレスラー[4]、俳優、重量挙げ選手。ハワイ州ホルアロア出身の日系アメリカ人。日本名は坂田敏行(さかた としゆき)[1]。 当時のハワイ準州で日系アメリカ人として生まれる。第二次世界大戦ではアメリカ陸軍に従軍。戦後もボディビルなどのスポーツに取り組み、1948年にはロンドンオリンピックの重量挙げにライトヘビー級のアメリカ代表で出場、銀メダルを獲得した[1][5]。 1949年8月、地元のハワイにて、ハロルド坂田(Harold Sakata)のリングネームでデビュー[2]。その後、オレゴン州ポートランド、ワシントン州シアトル、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーなど太平洋岸北西部を主戦場に活動した[2]。 アメリカでは日本をアピールする和服をコスチュームに使用するなど、終戦から10年も経っていないアメリカに根強く残っていた反日感情を利用し、日系ヒールのギミックを強調。1954年からはグレート東郷の弟、トシ東郷(Tosh Togo)を名乗り、タッグチーム「トーゴー・ブラザーズ」を結成[6]。同年7月8日にトロントにてホイッパー・ビリー・ワトソン&テキサス・マッケンジーからNWAカナディアン・オープン・タッグ王座を、1956年4月29日にはホノルルにてロード・ブレアース&ジン・キニスキーからNWAハワイ・タッグ王座をそれぞれ奪取した[7][8]。 1951年9月の来日時、ナイトクラブで力道山と喧嘩になり、それが縁で力道山をスカウト[1][9]。アジア選手権大会のタッグ部門に力道山と組んで出場した。以降、1955年10月と1957年9月に日本プロレスに参戦[10][11]。
来歴