ハロルド・ベインズ
Harold Baines2011年8月11日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地メリーランド州イーストン
ハロルド・ダグラス・ベインズ(Harold Douglas Baines, 1959年3月15日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州イーストン出身の元プロ野球選手(右翼手及び指名打者)。左投左打。
ニックネームは「静かな男」。 ベインズは1959年3月15日にメリーランド州イーストンに生まれる。その後地元で育ち、セントミカエル高校
経歴
少年時代からMLB入団まで
高校を卒業する1977年、ドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスから全体1位で指名され入団。当時ホワイトソックスのオーナーだったビル・ベックは、12歳当時のベインズがリトルリーグでプレイしているのを見て、少年時代より注目していたという。 1980年4月10日の開幕戦にてメジャーデビューを果たし、弱冠20歳ですぐにレギュラーに定着。 1982年には161試合に出場して打率.271、25本塁打、105打点を記録。 1983年は打率.280、20本塁打、99打点でチームの地区優勝に貢献。1984年には自己最多の29本塁打を記録。長打率.541はア・リーグ1位であった。 1984年5月8日のコミスキー・パークで行われた対ミルウォーキー・ブルワーズ戦は延長戦に入り、午前1時を過ぎたところでアメリカンリーグの規定により、サスペンデッドゲームとなった。翌9日に正規の試合前に続行試合が行われ、8時間6分に及ぶMLB史上最長時間試合となったが、延長25回裏にチャック・ポーター
シカゴ・ホワイトソックス時代(1980年 - 1989年)
1985年は打率.309、22本塁打、113打点(自己最高)で初のオールスター出場を果たす。
1986年頃より膝の故障に悩まされ、1987年以後はほぼ指名打者での起用が中心となる。すでにこの時点で、オーナーのジェリー・ラインズドルフがベインズの背番号『3』を永久欠番に指定することを確約しており、1989年シーズン途中に2対3の交換トレードでベインズはテキサス・レンジャーズへ移籍する[2]が、この移籍退団をもってベインズの背番号『3』を永久欠番に指定している。ベインズのホワイトソックス在籍時の背番号「3」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番に1989年指定。