ハロルド・ベインズ
Harold Baines2011年8月11日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地メリーランド州イーストン
ハロルド・ダグラス・ベインズ(Harold Douglas Baines , 1959年3月15日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州イーストン出身の元プロ野球選手(右翼手及び指名打者)。左投左打。
ニックネームは「静かな男」。目次
1 経歴
1.1 少年時代からMLB入団まで
1.2 シカゴ・ホワイトソックス時代(1980年-1989年)
1.3 3球団所属時代(1989年-1995年)
1.4 ホワイトソックス復帰(1996年)
1.5 オリオールズ・インディアンス所属時代(1997年-2000年)
1.6 2度目のホワイトソックス復帰・引退まで(2000年-2001年)
1.7 引退後
2 選手としての特徴
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 年度別守備成績
3.3 表彰
3.4 記録
3.5 背番号
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴
少年時代からMLB入団まで在学時には打率.532の記録をたたき出し、全米高校野球で注目された。
高校を卒業する1977年、ドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスから全体1位で指名され入団。当時ホワイトソックスのオーナーだったビル・ベックは、12歳当時のベインズがリトルリーグでプレイしているのを見て、少年時代より注目していたという。 1980年4月10日の開幕戦にてメジャーデビューを果たし、弱冠20歳ですぐにレギュラーに定着。 1982年には161試合に出場して25本塁打、105打点を記録。 1983年は29本塁打、99打点でチームの地区優勝に貢献。1984年には自己最多の29本塁打をマーク。長打率.541はア・リーグ1位であった。 1984年5月8日のコミスキー・パークで行われた対ミルウォーキー・ブルワーズ戦は延長戦に入り、午前1時を過ぎたところでアメリカンリーグの規定により、サスペンデッドゲームとなった。翌9日に正規の試合前に続行試合が行われ、8時間6分に及ぶMLB史上最長時間試合となったが、延長25回裏にチャック・ポーター
シカゴ・ホワイトソックス時代(1980年-1989年)
1985年は打率.309、本塁打22、打点113(自己最高)で初のオールスター出場を果たす。
1986年頃より膝の故障に悩まされ、1987年以後はほぼ指名打者(DH)での起用が中心となる。すでにこの時点で、オーナーのジェリー・ラインズドルフがベインズの背番号『3』を永久欠番に指定することを確約しており、1989年シーズン途中に2対3の交換トレードでベインズはテキサス・レンジャーズへ移籍する[2]が、この移籍退団をもってベインズの背番号『3』を永久欠番に指定している。 ベインズのホワイトソックス在籍時の背番号「3」。 レンジャーズに移籍後、今度は1990年のシーズン途中に2選手との交換でオークランド・アスレチックスにいわゆるフラッグ・トレードで移籍。この年アスレチックスはリーグ優勝を果たしており、自身初のワールドシリーズ出場を果たすが、相手となったシンシナティ・レッズに1勝もできず4連敗で敗退してしまった。 1991年は、打率.295、20本塁打、90打点の活躍で4年ぶりにオールスターに出場し、1992年は、アスレチックスの地区優勝に貢献。 1993年にマイナー2投手との交換で地元のボルチモア・オリオールズに移籍し、同年は打率.313、翌1994年は.294、1995年は.299を記録した。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番に1989年指定。
3球団所属時代(1989年-1995年)