「ハローズ」とは異なります。
ハロッズ
Harrods
ナイツブリッジ・ブロンプトンにあるハロッズ
ハロッズ (Harrods) は、ロンドン中心部のナイツブリッジ地区ブロンプトン・ロード(英語版)に面するイギリス最大の老舗高級百貨店。社名は欧米企業の例に違わず、創業家ハロッドの姓をそのまま付けている(アポストロフィが消えているが名前+所有形)。 ナイツブリッジの店舗は5-エーカー (20,000 m2)の敷地に100万平方フィート(90,000m2)以上の売り場面積を有し、330の専門店が出店している。英国第2位の規模をもつオックスフォード・ストリートの百貨店セルフリッジズの売り場面積が540,000平方フィート (50,000 m2)[3]であることを考慮すると、ナイツブリッジの店舗がいかに巨大かが窺える。ハロッズのモットーはOmnia Omnibus Ubique - 「あらゆる商品を、あらゆる人々へ、あらゆる場所へ」。クリスマス限定の店舗や食料品売り場はその商品の豊富さで知られ、世界的に有名である。最寄りのロンドン地下鉄はナイツブリッジ駅である。創業以来、延べ5人のオーナーにより所有されてきたが、現在のオーナーはカタール政府系の投資ファンドカタール・ホールディングスで、2010年5月8日にエジプト出身の富豪モハメド・アルファイドから推定15億UKポンドで買収した。 アルゼンチンのブエノスアイレスにも直営の支店を有していたが、1922年に他の事業者に売却され、現在はハロッズ本社からは独立したハロッズ・ブエノスアイレス
概要
また、百貨店とは別にハロッズ・バンク、ハロッズ・エステーツ(英語版)、ハロッズ・カジノ、ハロッズ・アビエーション・リミテッド(英語版)、エア・ハロッズ(英語版)などのグループ企業が存在する。
歴史1909年当時の流行のファッションを示す絵画。ロンドンの上流階級の人々がハロッズの前を歩いている。
ハロッズの創業者チャールズ・ヘンリー・ハロッド(英語版)は1824年、25歳の時に起業した。社屋をテムズ川南岸のサザークに構え、店舗はバラ・ハイ・ストリート228に所在した。彼は1831年まで洋服店、生地商としてこの企業を経営した[5][6][7]。1825年には'Harrod and Wicking, Linen Drapers, Retail'(リンネル商ハロッドとウィッキング)の企業名で記録が残っているが[8]、この協力関係は同年末には解消した[9]。食品雑貨店として初めて事業を立ち上げたのは1832年のことで、‘Harrod & Co.Grocers’(ハロッド日用品商会)の名でクラーケンウェルのアッパー・ホワイトクロス・ストリート163に店を構えた[10]。
1834年、紅茶に特別な興味を示したハロッドは、ロンドンのイースト・エンド、ステップニーのケーブル・ストリート4で食品雑貨の小売店を立ち上げた。これが今日まで続くハロッズの原点である。1849年、不衛生なインナーシティを回避して、2年後の開催が予定されたロンドン万国博覧会で見込まれる需要を狙い、ハイド・パークの近くで、今日まで続く店舗の所在地であるブロンプトン地区の小さな店を買い取って、営業を開始した。初めは2人のアシスタントと1人のメッセンジャーボーイを雇って始まったハロッズだったが、後に経営が息子のチャールズ・ディグビー・ハロッドに引き継がれ、医薬品、香水、筆記具、青果の販売を取り扱うようになり、ますます繁盛した。その後、隣接する建物を取得し、拡大を続けたハロッズは1880年には従業員数が100人に達した。
だが、順調に成長してきた店の運命は1883年12月初めの火事によって苦難の時を迎える。この苦難に際して、チャールズ・ハロッドは顧客にクリスマスの配達を実施して、同年は記録的な利益を上げた。即座に同じ場所に新しい店舗が建てられ、オスカー・ワイルド、リリー・ラントリー、エレン・テリー、チャールズ・チャップリン、ノエル・カワード、ガートルード・ローレンス、ローレンス・オリヴィエ、ヴィヴィアン・リー、ジークムント・フロイト、A・A・ミルン等の著名人、さらには英国王室の人々を得意客とするまでに発展し、より名声を高めた。ハロッズの店舗
1898年11月16日の水曜日、ハロッズのブロンプトン・ストリート・ストアでイングランド初の"動く階段"(エスカレーター)が実用化された。この"動く階段"は現在の一般的なエスカレーターとは異なり、マホガニー材と皮革製の連続したベルトのユニットから成るベルトコンベア風の段のない階段部分と銀色の板ガラス製の手すり部分で稼働していた[11]。(初めてエスカレーターを体験するという)"試練"を受けて弱った客は、(エスカレーターを)上った先で店員に気付け代わりのブランデーを提供してもらって元気を取り戻していた。1985年、百貨店はファイド兄弟によって買収された[12]。 2010年5月、ハロッズは売却に対して拒否する姿勢を示したが、カタールの政府系投資ファンドであるカタール・ホールディングスに売却された。その2週間前、アルファイドは「クウェート、サウジアラビア、カタールから(ハロッズを買収しようと)人々が働きかけてきている。十分、理に適ったことだ。だが、私は彼らに2本の指を突き立ててみせる(日本でいう「裏ピース」。ファックサインに相当)[13]。それ(=ハロッズのこと。以下同じ)は売り物ではない。これはマークス&スペンサーやセインズベリーズなんて(ハロッズに比して低価値の)モノではない。それは人々を満足させる特別な場所だ。唯一のメッカなのだ。」と述べた[14]。夜のハロッズ 同年5月8日未明にカタール首相のハマド・ビン・ジャーシムがロンドンを訪問し、ハロッズの獲得はカタール・ホールディングスの投資ポートフォリオに大きな価値を加えることになるであろう旨を述べ、売却契約を成立させて決着がついた。首相の補佐官はこの契約について、画期的な取引 (landmark transaction) だと言及した[12]。
2010年の売却