ハル・ハートリー
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ハル・ハートリー
Hal Hartley

本名Hal Hartley
別名義Ned Rifle
生年月日 (1959-11-03) 1959年11月3日(64歳)
出生地 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国
職業映画監督
脚本家
映画プロデューサー
ジャンル映画
活動期間1984年 - 現在
配偶者二階堂美穂
公式サイト ⇒Possible Films
主な作品
トラスト・ミー
シンプルメン
愛・アマチュア
フラート
ヘンリー・フール』シリーズ

 受賞
カンヌ国際映画祭
脚本賞
1998年ヘンリー・フール
ベルリン国際映画祭
エキュメニカル審査員賞
2014年ネッド・ライフル
東京国際映画祭
東京シルバー賞
1994年愛・アマチュア
その他の賞

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ハル・ハートリー(Hal Hartley、1959年11月3日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の映画監督脚本家映画プロデューサー
人物

インデペンデント映画界で有名。パートナーは日本人女優の二階堂美穂で、ハートリー作品によく出演している。2000年以降、日本では未公開になる作品が多かったが、2014年に中編『はなしかわって』が、2018年には『フェイ・グリム』と『ネッド・ライフル』が劇場公開された。2018年現在、長編作品で日本未公開なのは『No Such Thing』と『The Girl From Monday』の2本である。長編作品の合間には短編やミュージック・ビデオ、舞台などの演出も行っている。また自身の監督作の音楽も手がけており、90年代半ばまではネッド・ライフルという筆名を使っていた。
プロフィール

1959年11月3日ニューヨーク州ロングアイランド、リンデンハースト生まれ。4人兄弟の3男で兄2人と妹がいる。11歳のときに母親が死去し、その後は妹と親戚の家で暮らす。

1977年6月に地元のリンデンハースト高校を卒業。絵画に興味を持ちボストンのマサチューセッツ美術大学に入学。そこで映画製作に触れる。その後、学資金を稼ぐためニューヨークに戻りデパートの本屋やカメラ売場で働きながら、数本の8mm映画を自主製作する。1980年9月から1984年5月までニューヨーク州立大学パーチェス校で映画製作を専攻する。アラム・アヴァキアンのもとで脚本と演出について学びながら、ルネサンス文学と哲学を学ぶ。短編から彼のほとんどの作品の撮影の担当をしているマイケル・スピラーはこのときのクラスメイトである。在学中に後に彼の作品に携わることになるスタッフや俳優と出会う。卒業制作としてマイケル・スピラーと共同で33分の短編映画『Kid』を作成する。卒業後は父親の建設会社で働きながら、『The Cartographer's Girlfriend』、『Dogs』の2本の短編を監督。

1988年に初の長編映画『ニューヨーク・ラブストーリー』(The Unbelievable Truth)を製作。キャストのロバート・ジョン・バークや、撮影のマイケル・スピラーらの大学時代の仲間と共に、ハートリーは監督、脚本、編集の3役をこなした。製作費75,000ドル、地元リンデンハーストで11日間という短期間で撮影された低予算映画ながらも、映画祭では高く評価される。1990年にサンダンス映画祭で審査員大賞にノミネートされた。

1990年に長編2作目となる『トラスト・ミー』(Trust)を発表。前作で実力が評価されイギリスの制作会社Zenithの援助を受けて製作され、各国の映画祭で高評価を得た。この2作に出演したエイドリアン・シェリーの出世作となる。

1991年にはアメリカのテレビ局PBSによる、新進気鋭の映画監督の実験的短編作品を放送する番組「Alive from Off Center」で『アンビション』(Ambition)と『セオリー・オブ・アチーブメント』(Theory of Achievement)の2本の短編を製作。同じくPBSのアンソロジー番組「American Playhouse」では57分の『サバイビング・デザイア』(Surviving Desire)を製作した。この3本は日本でも『ハル・ハートリー短編集』としてビデオ発売された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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