ハル・シティAFC
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ハル・シティAFC
原語表記Hull City Association Football Club
愛称The Tigers(
タイガース
クラブカラー    オレンジ色
   
創設年1904年
所属リーグEFLチャンピオンシップ
所属ディビジョン2部(2023-24)
昨季リーグ順位15位(2022-23
ホームタウンキングストン・アポン・ハル
ホームスタジアムKCスタジアム
収容人数25,586[1]
代表者 アジャン・イルジャル
監督 リアム・ロシニアー
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ハル・シティ・アソシエーション・フットボール・クラブ(Hull City Association Football Club[2])は、イングランドヨークシャーキングストン・アポン・ハルをホームタウンとするプロサッカークラブである。愛称は「タイガーズ(The Tigers)」。
概要

1904年に創立した。現在のホームスタジアムはヨークシャーキングストン・アポン・ハルKCOMスタジアム(収容人員は25,450人)。クラブカラーはオレンジと黒。黄色地に黒の縦縞が特徴的なユニフォームを使用しており愛称は「タイガーズ(The Tigers)」。チームロゴにも虎が描かれている。
歴史

1904年に創設された100年以上の歴史を持つサッカークラブ。当時ハルの本拠地であるキングストン・アポン・ハルのあるヨークシャー州ハルFCハル・キングストン・ローヴァーズといったラグビーリーグチームの人気が支配的で、FAはそこにサッカーを導入しようとする計画を立てていて、その一環として1904年7月創設された。1905年にFAに加盟。1930年代はカップ戦でのアウトサイダーとして鳴らしたがそれもチームの3部降格で消えた。その後5、60年は大きなタイトルは全くと言っていいほど獲得できず、長く下部リーグ(主に3部)を主戦場にしてきたが、近年では、2003-04、2004-05シーズンに2シーズン続けて昇格する躍進も見せている。

2005-06シーズンから参戦しているチャンピオンシップでは、2シーズン連続でリーグ残留を果たし、3シーズン目となった2007-08シーズンでは強豪を押しのけ、クラブ創設以来最高位となる3位でシーズンを終え、プレミアリーグへの昇格プレーオフ進出の権利を獲得した。ホーム・アンド・アウェー方式で行われた昇格プレーオフでは、初戦でワトフォードに、2試合合計6-1と快勝し、続くプレーオフ決勝ではプレミアリーグ創設後初昇格を狙うブリストル・シティと対戦、試合は地元出身の大ベテラン、ディーン・ウィンダスのゴールでブリストル・シティを1-0で破り、ついにクラブ創設以来初となるトップリーグ昇格が決定した。チーム創設からトップリーグ初昇格までの期間としてはレディングに次いで2番目に遅い記録である。

初のトップリーグとなった2008-09シーズンの序盤は、アウェイでニューカッスルアーセナルトッテナムを破った他、これまたアウェイで敗れはしたもののマンチェスターU相手に3-4と好勝負を演じるなど旋風を巻き起こし、一時は3位まで上り詰めた。しかし、選手層の薄さや対戦相手に研究され始めたことから、シーズン中盤から後半戦はほとんど勝つことができず、残り2試合の時点で降格圏内の18位にまで順位を落とした。更に、勝てば残留となるホームでの最終節でも敗れた。しかし、序盤に獲得した勝ち点と残留を争っていたニューカッスルとミドルスブラが共に敗戦という状況にも助けられ、辛うじて残留を果たすことができた。ところが、翌2009-10シーズンは19位となり、2部に降格した。

2010年末よりエジプト人のアッセム・アラムがオーナーに就任。徐々にチーム力を高め、2013-14シーズンには4季ぶりにプレミアリーグへ復帰した。2013年にオーナーのアラムが独断に基づき「ビジネス的に響きがいい」という理由でクラブ名を「ハル・タイガーズ」に改名する申請を行ったが[3]、伝統を重んじるサポーターから猛反発を受けた。2014年4月9日、FAは名称変更を求めたハル・シティの申請を棄却したことを発表した[4]。同年5月17日には110年のクラブ史における初の主要タイトル獲得をかけ、アーセナルFAカップ決勝を戦ったが、2点のリードを守りきれず2-3で敗れ準優勝に終わった[5]

2014-15シーズンは18位となり、チャンピオンシップ降格が決まった。2015-16シーズンはチャンピオンシップを4位で終えたが、昇格プレーオフで5位ダービー、6位シェフィールド・ウェンズデーを相次いで破り、1年でプレミアリーグ復帰を果たした。2016-17シーズンは18位となり、プレミアリーグからの降格が決定した後の2017年5月25日、マルコ・シウバ監督が辞任した。[6]2017-18シーズンは6月9日、レオニード・スルツキーが就任したが、低迷が続き、12月3日、双方の合意により、アシスタントコーチのオレグ・ヤロヴィンスキーと共にクラブを退団した。[7]12月7日、ナイジェル・アドキンスがアシスタントコーチのアンディ・クロスビーと共に1年半契約で監督に就任し、[8][9]最終的に18位でシーズンを終えた。
タイトル
国内タイトル

フットボールリーグ・サードディヴィジョン1:1回

1965-66


フットボールリーグ・サードディヴィジョン・ノース:2回

1932-33, 1948-49


国際タイトル

なし

過去の成績

シーズンリーグFAカップリーグ杯欧州カップ / その他最多得点者
ディビジョン試勝分敗得失点順位選手得点数
1993-94ディビジョン2461814146254689位2回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクショングループステージ敗退 ディーン・ウィンダス24
1994-95462111147057748位1回戦敗退1回戦敗退 フットボールリーグトロフィー北セクショングループステージ敗退17
1995-96465162536783124位1回戦敗退2回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション2回戦敗退8
1996-97ディビジョン34613181544505717位2回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション2回戦敗退 デュアン・ダービー20
1997-98461182756834122位1回戦敗退3回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション2回戦敗退15
1998-994614112144625321位3回戦敗退2回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション2回戦敗退 デイビッド・ブラウン14
1999-004615141743435914位3回戦敗退2回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション準々決勝敗退 ジョン・エア12
2000-01461917104739746位1回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション1回戦敗退7
2001-024616131757516111位2回戦敗退2回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション準決勝敗退 ガリー・アレクサンダー23
2002-034614171558535913位1回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション1回戦敗退 スチュアート・エリオット12
2003-0446251388244882位1回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション2回戦敗退 ベン・バージェス18
2004-05リーグ146268128053862位3回戦敗退1回戦敗退フットボールリーグトロフィー北セクション1回戦敗退 スチュアート・エリオット29
2005-06チャンピオンシップ4612161849555218位3回戦敗退1回戦敗退7


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