近田春夫&ハルヲフォン
出身地 日本・東京都
学歴慶應義塾(近田)
立教高等学校(恒田・高木)
ジャンルニュー・ウェイヴ、パンク・ロック
活動期間1972年 - 1979年
2006年 (再結成)
レーベルキングレコード
共同作業者森園勝敏
メンバー近田春夫 (ヴォーカル、キーボード)
キャロン・ホーガン(ヴォーカル)
小林克巳
近田春夫&ハルヲフォン(ちかだはるお と-、1972年 / 1974年 正式結成 - 1979年 活動停止 / 2006年 再結成)は、日本のニュー・ウェイヴ系ロックバンドである。近田春夫の作家性・批評性に負うところが大きい。
目次
1 略歴・概要
1.1 活動期
1.2 再評価期
2 ディスコグラフィ
2.1 シングル
2.2 アルバム
2.3 その他
3 関連事項
4 註
5 外部リンク
略歴・概要
活動期が中心となって結成された。当初のギターは松本恒男、ベースは佐伯正志であった[1]。その後ベースに恒田の立教高等学校時代の後輩高木英一が加入、「デューク柏淵とビブラトーンズ」名義でも営業活動をした[1]。ギターに小林克巳が加入し、1974年(昭和49年)、正式結成。当時はハルヲフォン名義。
内田裕也系のロックンロールやファンク系ディスコサウンドを追求しており、翌1975年(昭和50年)、キャロン・ホーガンをヴォーカルにシングル『FUNKYダッコNo.1』でキングレコードからデビューする[2]。当時のメンバーは、近田、恒田、高木、小林、キャロン、長谷川の6人であった[1]。この楽曲は、玩具業界戦後最大のヒットと言われた「ダッコちゃん」を、タカラ(現・タカラトミー)が復刻した際のタイアップ曲である。
また同年、近田は、クールスのデビューアルバムをプロデュースした[3]。
1976年(昭和51年)、ファーストアルバム『COME ON LET'S GO』を発表する。同作には近田がクールスに提供した楽曲『シンデレラ』(1975年)をセルフカヴァーしたヴァージョンが収録されている。当時に準備していたGS(グループ・サウンズ)の企画ものカヴァー・アルバムは、同年11月にレコーディングされたが未発表となった。
1977年(昭和52年)、セカンドアルバム『ハルヲフォン・レコード』を発表する。同年、TBSテレビ『ぎんざNOW!』にレギュラー出演する。
1978年(昭和53年)、サードアルバム『電撃的東京』を発表する。本作は全篇、歌謡曲のカヴァーで満たされたコンセプト・アルバムである。
前年1977年10月から、ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』の「火曜2部」(1978年10月 - 1979年3月)のパーソナリティに就任し[4]、翌1978年、雑誌『POPEYE』(平凡出版、現マガジンハウス)で『THE 歌謡曲』の連載を開始[5]、TBSテレビ『ムー一族』(1978年5月17日 - 1979年2月7日)に「ヘホ」役でレギュラー出演するなど、近田のソロ活動領域が増えるとともに、1979年(昭和54年)、活動を停止した。