ハリー・ベラフォンテ
Harry Belafonte
1954年撮影
本名Harold George Bellanfanti Jr.
生年月日 (1927-03-01) 1927年3月1日
没年月日 (2023-04-25) 2023年4月25日(96歳没)
出生地 アメリカ合衆国・ニューヨーク州
ニューヨーク市・マンハッタン
死没地 アメリカ合衆国・ニューヨーク州
ニューヨーク市・マンハッタン
国籍 アメリカ合衆国
職業歌手、俳優
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Belafonte with Nat King Cole
ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte、1927年3月1日 - 2023年4月25日)は、アメリカ合衆国の歌手、俳優、社会活動家。「バナナ・ボート」などのヒット曲やアフリカ支援のチャリティソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」の制作にも携わる[1]。「USAフォー・アフリカ」の提唱者として知られる。 ニューヨーク市ハーレム生まれ。父親は仏領マルティニーク系黒人、母はジャマイカ系である。1956年に「バナナ・ボート」が世界的な大ヒットとなり、アルバム『カリプソ』も当時としては珍しいミリオンセラーを記録し、一躍スターとなった[2]。 「バナナ・ボート」はジャマイカの労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌を元に作られた曲で、"Day-o, Day-ay-ay-o ・・・ Day, me say day, me say day, me say day Me say day, me say day-ay-ay-o・・・"。という掛け声が特徴的。この掛け声の語感のコミカルさから、日本でも浜村美智子や江利チエミのカバーバージョンがヒットした。またその後も「マティルダ」や「ダニー・ボーイ」などの世界的なヒット曲を連発した。 ベラフォンテのコンサートを観た三島由紀夫は、「ベラフォンテがどんなにすばらしかは、舞台を見なければ、本当のところはわからない。ここには熱帯の太陽があり、カリブ海の貿易風があり、ドレイたちの悲痛な歴史があり、力と陽気さと同時に繊細さと悲哀があり、素朴な人間の魂のありのままの表示がある。そして舞台の上のベラフォンテは、まさしく太陽のやうにかがやいてゐる。(中略)歌はれる歌には、リフレインが多い。全編ほとんどリフレインといふやうな歌がある。これは民謡的特色だが、同時に呪術的特色でもある。わづかなバリエーションを伴ひながら『夏はもうあらかた過ぎた』(ダーン・レイド・アラウンド)とか『夜ごと日の沈むとき』(スザンヌ)とかいふ詩句が、彼の甘いしはがれた声で、何度となくくりかへされると、われわれは、ベラフォンテの特色である、暗い粘つこい叙情の中へ、だんだんにひき入れられる。声が褐色の幅広いリボンのやうにひらめく。われわれは、もうその声のほかには、世界中に何も聞かないのである。(中略)(私は)『バナナ・ボート』や、たのしい『ラ・バンバ』をことに愛する」[3]と、その歌声を絶賛した。 2023年4月25日、うっ血性心不全のため、マンハッタン・アッパーウエストサイドにある自宅にて死去、96歳没[2][4]。 日本でもよく知られているように、ベラフォンテはアメリカのフォークリヴァイヴァル運動を支えた一人であり、多くの民謡を取り上げた。また、演奏するフォークソングなどの楽曲には核兵器、人種差別や戦争に対するプロテスト(抗議)を込めたものが多く、音楽を越えて公民権運動、ベトナム戦争反核運動に積極的に携わっている。
来歴・人物
「バナナ・ボート」
社会活動