ハリー・ケイリー・ジュニア
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ハリー・ケリー・ジュニア
Harry Carey Jr.
1948年撮影
本名Henry George Carey
別名義Harry Carey[1]
Henry G. Carey[1]
生年月日 (1921-05-16) 1921年5月16日
没年月日 (2012-12-27) 2012年12月27日(91歳没)
出生地 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクラリタ・サウガス
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタバーバラ
身長185 cm
職業俳優
ジャンルテレビ・映画
活動期間1946年 - 2010年
配偶者マリリン・ケリー[2](1944年 - 2012年)
著名な家族ハリー・ケリー(父)
オリーヴ・ケリー(母)
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ハリー・ケリー・ジュニア(Harry Carey, Jr.、1921年5月16日 - 2012年12月27日)は、アメリカ合衆国の俳優。父はサイレント映画時代から西部劇を中心に活躍した名優ハリー・ケリー、母はその2番目の妻で女優のオリーヴ・ケリー(英語版)。父同様、西部劇作品に多く出演した性格俳優である[3]
来歴
人生とキャリア

西部劇映画で活躍した名優ハリー・ケリーの息子としてカリフォルニア州サンタクラリタ・サウガス(英語版)に生まれ、両親が所有するカリフォルニアの牧場で育つ[3]

オペラ歌手で映画スターのローレンス・ティベットのようなクラシック歌手になるのが夢で、歌の勉強のためにニューヨークに渡る。1939年にニューヨーク万国博覧会でショーのパフォーマーの職を得る。1941年にNBCで働くようになるが、第二次世界大戦が始まると海軍に入隊する。最初の3年間は衛生兵として働き、その後、父の親友ジョン・フォード監督によるプロパガンダ映画制作の任務に(ケリー本人が拒否したにもかかわらず)つくことになる[3]

退役後、歌手を目指すが上手く行かず[3]、俳優に転向し、1946年に映画『Rolling Home』の端役でデビューする[4]。その後、父が出演した映画『赤い河』(1948年)に出演したが父との共演シーンはない。なお、1946年にクランクアップしたが版権で揉め、公開は2年後になった。

1947年に父が亡くなると、父がかつて主演したサイレント映画『恵みの光(英語版)』(1919年)のリメイク作『三人の名付親』(1948年)で主役の1人に抜擢される。このリメイク作は、『恵みの光』の監督でもあるジョン・フォードが親友ハリー・ケリーに捧げた作品である[3]。この作品以降、フォード監督作品の常連俳優として多くの作品に出演するようになるが、他の監督の作品では扱いが悪く、クレジットされないこともあった。

1950年代以降はテレビを中心に活動し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにテレビ分野で星を持つ。また、西部劇を中心に脇役から端役まで数多くの作品に出演し、ジョン・フォードの後継者と呼ばれたアンドリュー・V・マクラグレンの監督作品に目立って出演した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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