ハリー・キューウェル
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ハリー・キューウェル

セルティックでのキューウェル(2023年)
名前
本名ハロルド・キューウェル
Harold Kewell
愛称オズの魔法使い
ラテン文字Harry KEWELL
基本情報
国籍 オーストラリア
イングランド
生年月日 (1978-09-22) 1978年9月22日(45歳)
出身地 オーストラリアニューサウスウェールズ州
身長180 cm
体重78 kg
選手情報
ポジションMF / FW
利き足左足
ユース
1995-1997 リーズ・ユナイテッド
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1996-2003 リーズ・ユナイテッド 181 (45)
2003-2008 リヴァプール 93 (12)
2008-2011 ガラタサライ 63 (22)
2011-2013 メルボルン・ビクトリー 25 (8)
2013 アル・ガラファ 3 (1)
2013-2014 メルボルン・ハート 16 (2)
通算381 (90)
代表歴
1994-1995 オーストラリア U-1710 (1)
1997 オーストラリア U-203 (0)
1996-2012 オーストラリア58 (17)
監督歴
2017-2018 クローリー・タウン
2019 ノッツ・カウンティ
2020-2021 オールダム・アスレティック
2021 バーネット
2024- 横浜F・マリノス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハロルド・"ハリー"・キューウェル(Harold "Harry" Kewell、1978年9月22日 - )は、オーストラリアニューサウスウェールズ州出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード。元オーストラリア代表。現在はJリーグ横浜F・マリノスの監督を務める。

左サイド左ウイングを主戦場にしていたが[1]トップ下セカンドストライカーでもプレーでき、また代表では0トップ(偽9番)2トップの一角も務めていた[2]。怪我が多い選手ではあるが[3][4]、メディアの間ではオーストラリアが生んだ史上最高のサッカー選手であるといわれている[5]2006 FIFAワールドカップにも出場し、クロアチア戦でゴールを記録している。オーストラリア選手協会の執行委員会のメンバーでもある[6]
生い立ち

スミスフィールド・パブリックスクールからセント・ジョンズ・ハイスクールへ進み、ウェストフィールド・スポーツ・ハイスクールへと移った。

ウェストフィールド・スポーツ・ハイスクール在籍中には、学校とクラブの両チームでプレイしており、スティーブン・トゥリローが教えていたニューサウスウェールズ・ユースリーグの強豪チームであるマルコーニのU-13からU-15のチームでプレイしていた。また、ニューサウスウェールズ・ジュニアサッカー・アカデミーにも通い、デイヴィッド・リーの教えを受けていた。

14歳の時にマルコーニのU-14チームの一員としてタイイタリアイングランドに遠征し、イングランドではACミランのジュニアチームとも対戦した。キューウェルは国外に出るのはこれが初めての経験であり、プレミアリーグの試合を観戦し、ヨーロッパのサッカーに触れる機会も得た。15歳の時に、プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドから4週間に渡るトライアルの誘いを受け、ブレット・エマートンとともにイングランドへ渡った。リーズのトライアルでは二人とも良い印象を与えることに成功したが、キューウェルの父親はイングランド人の血を引いておりビザ取得の要件を満したため、キューウェルだけがリーズのオファーを受けることが出来たのであった。
クラブ経歴
リーズ・ユナイテッド

デビュー戦となったのは、1996年3月30日にホームで行われ、0-1で敗れたミドルズブラ戦であった。この頃は、後にウエストライフのメンバーとなるニッキー・バーンと同居していた。4月にはチリ戦でオーストラリア代表デビューを飾った。リーズでの初得点は、1997年10月に行われ、3-1で勝利したリーグカップストーク・シティ戦で記録したものである。

主に左サイドの攻撃的なポジションを務め、将来有望なリーズの若手選手の一人となり、同じオーストラリア人のマーク・ヴィドゥカともプレイすることになった。1999-2000シーズン終了後には、インテル・ミラノから推定2500万ポンドのオファーが届いた[7]。2000-01シーズンにはチャンピオンズリーグ準決勝に進出するなどの躍進をしたが、2002-03シーズンにクラブは深刻な財政難を抱え、選手の放出を余儀なくされてしまい、キューウェルとヴィドゥカの活躍はクラブに残留という成果以外の実りを与えることはなかった。しかし、キューウェルのリーズにおける活躍は、自身の国際的な名声を高めることになった。リーズでは、在籍8年間でリーグ戦182試合に出場し、45得点の成績を残した。

キューウェルはクラブとの関係が決して良いとは言えない状況下でクラブを去ることになった。リヴァプール移籍前に応じたBBCのインタビューでは、クラブのメディカルスタッフのせいで自身の怪我が悪化したと非難したが、チームメイトはキューウェルの方がクラブから出て行くように圧力をかけたと述べた[8]
リヴァプール

ACミラン[7]チェルシー[7]マンチェスター・ユナイテッド[7]アーセナル[7]FCバルセロナ[7]といった金銭的により恵まれたオファーを断り、2003-04シーズンを前にリヴァプールFCへ移籍した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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