「ハリコフ」はこの項目へ転送されています。駆逐艦については「ハリコフ (駆逐艦)」をご覧ください。
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ハールキウ
ハルキヴ
ハリコフ
ハーリカフ
ハルキウ
Харк?в
Харьков
市旗市章
位置
ハルキウの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ハルキウハルキウ (ウクライナ)ウクライナの地図を表示ハルキウハルキウ (ハルキウ州)ハルキウ州の地図を表示
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度55分0秒 東経36度19分0秒 / 北緯49.91667度 東経36.31667度 / 49.91667; 36.31667
ハルキウ[1]:151[注 1](ウクライナ語: Харк?в [?x?rkiu?] ( 音声ファイル) ハールキウ[1]:157[注 2]、ハルキヴ[2])は、ウクライナ北東部の都市である。ハルキウ州の州都。日本ではハリコフ(ロシア語: Харьков ハーリカフ[注 3])の名でも知られる。人口は約144万人で、首都キーウに次いで2番目に大きな都市である。 17世紀中頃にウクライナ・コサックによって建設された。ロシア帝国の要塞が築かれ、南部の軍事的拠点とされていた。19世紀以降、工業都市として急速に発展した。そのため、ロシア人の入植が大規模に行われ、また産業の発展に伴いユダヤ人人口も増加した。 1917年1月6日から1934年6月24日まで、ハルキウはウクライナにおけるボリシェヴィキ・ソビエト勢力の拠点とされ[3]、同派のウクライナ人民共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都となった。これは、ロシア革命後にウクライナ民族主義
歴史
第二次世界大戦(独ソ戦)では、1941年10月24日までにナチス・ドイツ軍に占領された[4]が、1943年8月23日にソ連軍が奪回した。ドイツ軍の占領下で何万人もの住民が虐殺されたといわれる。詳細は「ハリコフ攻防戦」を参照
第二次世界大戦後は、ソビエト連邦に抑留された日本人約4000人がハルキウ一帯に送られ、道路の建設や住宅の補修に当たった[5]。
1805年に開設されたハルキウ大学があり、文化・教育の中心地でもある。2004年には建都350年が祝われた。
2014年4月7日、親ロシア派グループが「ハリコフ人民共和国」の建国を宣言して庁舎を占拠する事件が発生した。しかし翌日にはウクライナ政府により奪還され70人以上が逮捕された。また地元テレビ局も親ロシア派のデモ隊に一時占拠された[6]。同月27日には、親ロシア派と反ロシア派の衝突により14人が負傷した。また28日には、地域党に所属するヘンナーディイ・ケルネス(英語版)市長が銃撃され重傷を負う事件が発生した[7]。 親ロシア感情の強い地域であったが、2021年以降のロシア軍によるウクライナへの威圧によりロシア連邦への警戒感も強まっていた この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年5月) [8]。2022年2月24日、ロシア軍は国境を越えて進軍を開始(2022年ロシアのウクライナ侵攻)。市内に侵入したロシア軍の戦車や装甲車をウクライナ軍が破壊するなど市街戦の様相を呈した[9]。同月28日、ロシア軍によって人口密集地などを無差別に爆撃されたと報じられた[10]。詳細は「ハルキウの戦い (2022年)」を参照 ドネツ川の支流であるハルキウ川 ケッペンの気候区分では湿潤大陸性気候(Dfb)に属する。冬季は極端に寒くは無く、夏季も極端な暑さにはならない。1月の平均気温は-6.9℃、7月の平均気温は20.3℃である。年間の平均降水量は549mmで、6月と7月が最も多い。 ハルキウの気候
ロシアのウクライナ侵攻の影響
地理
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)?2.8
(27)?2.0
(28.4)3.7
(38.7)14.0
(57.2)20.7
(69.3)24.6
(76.3)25.9
(78.6)25.2
(77.4)19.4
(66.9)11.7
(53.1)3.6
(38.5)?0.8
(30.6)11.9
(53.4)
平均最低気温 °C (°F)?8.5
(16.7)?8.1
(17.4)?2.9
(26.8)4.7
(40.5)9.9
(49.8)13.8
(56.8)15.0
(59)14.1
(57.4)9.1
(48.4)3.7
(38.7)?1.8
(28.8)?5.8
(21.6)3.6
(38.5)
降水量 mm (inch)44
(1.73)32
(1.26)27
(1.06)36
(1.42)47
(1.85)58
(2.28)60