ハリウッドザコシショウ
福島競馬場にて(2023年11月12日)。
本名中澤 滋紀(なかざわ しげき)
ニックネームザコシ[1]
シショウ[2]
別名義ザコ師匠(旧芸名)
ザコシショウ(旧芸名)
生年月日 (1974-02-13) 1974年2月13日(50歳)
出身地静岡県清水市(現・静岡市清水区)
血液型A型
身長164 cm
言語日本語
方言標準語
静岡弁
最終学歴静岡県立清水工業高等学校(現・静岡県立科学技術高等学校)卒業
出身NSC大阪校11期
コンビ名G★MENS(活動休止中)
相方静岡茶っぱ(コンビ時代)
芸風漫談
1人コント
モノマネ
立ち位置右
事務所吉本興業
→ワタナベエンターテインメント
→ソニー・ミュージックアーティスツ
活動時期1993年 -
同期陣内智則
中川家
ケンドーコバヤシ
たむらけんじ
ハリガネロック
海原やすよ・ともこ
野々村友紀子
児嶋一哉(アンジャッシュ)
現在の代表番組
逆襲ザコシのチョゲチョゲPARK
過去の代表番組あらびき団など
配偶者既婚
親族青木真也(従兄弟)
公式サイトプロフィール
ハリウッドザコシショウ(本名:中澤 滋紀〈なかざわ しげき〉、1974年〈昭和49年〉2月13日 - )は、日本のピン芸人。R-1ぐらんぷり2016優勝者。
静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。吉本興業(1993年 - 1999年)、ワタナベエンターテインメント(2002年)、フリー(2000年 - 2001年・2003年 - 2004年)を経て[3]、2005年以降はソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)所属。
旧芸名はザコシショウ(「雑魚の中の師匠」に由来し、コンビ時代の相方の学生時代のあだ名を拝借したもの[4]。活動初期には「ザコ師匠」表記も用いた)。「ザコ シショウ」の表記は、現芸名への改名後も略表記として用いられている[1]。愛称は「ザコシ」(ライブイベント名や番組名などに用いられる。後述)[1]。 本人曰く幼少期は「根暗根暗の大根暗[5]」な性格で、女子と遊ぶことが多かったため、いじめられっ子だった[5]。母親はザコシショウのためにいじめっ子の家を一軒ずつ訪ねて回り、「どうか息子のことはいじめないでください」と頭を下げて頼んだ[6]。そんな母親と一緒にテレビでお笑い番組を観ていた時、母に「この人たちは、面白いというだけでみんなに尊敬されてるんだよ」と言われたことがお笑いを目指すきっかけの一つだった[6]。また、ビートたけしの存在が芸人をやりたいと思ったきっかけとも話している[7]。小学校3年生の頃から、いじめをはね返すために「調子乗りみたいなこと」をするようになり、そのうち教師のモノマネなどをして同級生を笑わせるようになる[5]。 清水市立第二中学校(現:静岡市立清水第二中学校)を経て[注 1][8]、静岡県立清水工業高等学校(現:静岡県立科学技術高等学校)卒業[9]。1992年、高校の同級生の静岡茶っぱ(本名:浅井 和仁)と共に大阪吉本総合芸能学院(NSC)に11期生として入学[9]。同期は陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじなど。 翌1993年、静岡茶っぱとのコンビ「G★MENS(ジーメンス)」としてデビュー[9]。上述のとおり最初の芸名「ザコシショウ」は、高校時代、「不良グループに絡まれるメンバーの中で威張る=ザコの中の師匠」であった茶っぱに、ザコシショウが名付けたあだ名であったが、茶っぱが芸名に用いることを拒否したために、自分が名乗ることにしたものである[4]。このためザコシショウ自身は「僕は“2代目ザコシショウ”なんです」としている[4]。コンビ時代は主に心斎橋筋2丁目劇場に出演し、ザコシショウと茶っぱの両方がわめき散らすなど、ハイテンションでシュールな芸風だった(2人とも静岡弁がきつく、大阪ではツッコミの台詞に訛りがあるとウケないため、このような芸風になったという[10])。この頃に競演していた芸人とは現在も親交が深く、ケンドーコバヤシとは「ザコバ」というユニットを組んだり[9]、ジャリズム・渡辺鐘(世界のナベアツ)らを加えて「ザコバwith港超」というユニットを組んだりしている[9]。1999年、心斎橋筋2丁目劇場の閉館とbaseよしもとの開館に際して、劇場ランクの最下位であった[3]G★MENSはリストラ組の3組に入る。これをきっかけに吉本を辞め、活動拠点を東京に移すため静岡茶っぱと共に上京[11][12]。オーディションを経てワタナベエンターテインメントと契約する[3]。
来歴