ハメ
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この項目では、フィンランドの伝統州について説明しています。1831年から1997年まで存在したフィンランドの州については「ハメ州」をご覧ください。

ハメ
Hame
Tavastland

州章
ハメの位置
(中央下の緑色の地域)

ハメ、もしくはハメ州 (ハメしゅう、フィンランド語: Hame、スウェーデン語: Tavastland、英語: Tavastia、ロシア語ラテン文字転写:Yam又はYemi)は、フィンランド伝統州。また、英名のTavastiaから、タヴァスティア、タヴァスティア州とも呼ばれる。フィンランド南部の中央に位置する内陸の伝統州である。南西から時計回りに、南西スオミサタクンタポフヤンマーサヴォカルヤラウーシマーの各伝統州と接している。現在、ハメだった地域は、主に中央スオミ県パイヤト=ハメ県カンタ=ハメ県キュメンラークソ県の県域となっている。またこの他に、ピルカンマー県の南部、南西スオミ県の東部、南サヴォ県の南西部、北サヴォ県の西部の一部地域がハメの地域を県域としている。
行政

ハメの地域は、1997年10月からは新設された西スオミ州南スオミ州に分割され、北部と南部でそれぞれ別州に所属していた。その後、2010年1月1日にフィンランド全州が廃止され[1]、ハメの地域は主に、中央スオミ県パイヤト=ハメ県カンタ=ハメ県キュメンラークソ県の県域となっている。
歴史

ハメの地域が歴史に登場するのは、ハメの地域がスウェーデンの領土となった時、第2回スウェーデン十字軍の終わりである1239年もしくは1249年まで遡る。その後、1260年からビルエル・ヤールによってハメ城の建設が始まる。この城は、3つの「城の国」(castle counties)の一つの中心地となった。他の2つの城は、南西スオミトゥルク城カルヤラのヴィープリ城 (英語版)である。1323年に結ばれたノーテボリ条約の後、ハメ城は東側の防御能力を失ってしまったが、その後も行政の中心地となった。1809年にフィンランドがスウェーデンからロシア帝国に割譲された。この時、ハメもロシア帝国に割譲された。今日では、ハメは行政上の機能は失っているが、現在でもスウェーデンフィンランド両方の遺跡が残っている。

ハメの地には石器時代から人間が住んでいた。ハメの北部地域は荒野で主にサーミ人狩猟採集民が住んでおり、また加えてフィン人猟師もいた。中世の終わり頃の間のみ、ハメの北部に農業が徐々に導入された。19世紀になると、林業の成長が始まり、この地域に富をもたらすようになった。また、ネシ湖とVanajavesiとを繋ぐ水路が造成され、木材の供給が容易になった。そして、この地域、特にManttaとValkeakoskiは昔から現在まで製紙業の中心地として有名である。しかしながら、ハメの製造業の中心地はタンペレである。これは、タンペレの地に19世紀初めに大きな織物工場金属工場が建設されたためである。
地理

ハメの西部地域は、Kokemaenjoki流域に沿って、その両側に広がっている。東部地域、つまり、パイヤト=ハメ県中央スオミ県の県域に当たる地域は、パイエンネ湖南部の周辺に広がる地域である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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