ハム_(ヴェストファーレン)
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紋章地図

基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:アルンスベルク行政管区
郡:(郡独立市)
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度40分51.85秒 東経07度49分01.62秒 / 北緯51.6810694度 東経7.8171167度 / 51.6810694; 7.8171167
標高:海抜 63 m
面積:226.43 km2[1]
人口:

179,238人(2021年12月31日現在)[2]
人口密度:792 人/km2
郵便番号:59063 ? 59077
市外局番:02381 ? 02385, 02388, 02389, 02307
ナンバープレート:HAM
自治体コード:05 9 15 000
行政庁舎の住所:Theodor-Heuss-Platz 16
59065 Hamm
ウェブサイト:www.hamm.de
首長:マルク・ヘルタ (Marc Herter)
郡内の位置

地図

ハム市の象徴的建造物「ガラスの象」ハム旧市街

ハム (ドイツ語: Hamm, [ham] ( 音声ファイル)[3], ラテン語: Hammona) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州アルンスベルク行政管区北西部に位置する郡独立市である。ルール地方の北東端にあたり、ライン=ルール大都市圏(ドイツ語版、英語版)に含まれる。ハムは、多くの鉄道路線が交差する古典的な鉄道都市である。現在では大部分が閉鎖されている操車場・貨物駅は、かつてはヨーロッパ最大のものであった。ハムは「ルール地方の貨物駅」と見なされていた。

この街は、地域計画上中級中心に位置づけられている。多くの地域再編の後、1975年にハム市は現在の広がりと10万人を超える人口を獲得し、「大都市」となった。2017年の人口報告によればハムの人口は約18万人である。2016年12月31日の人口は179,570人で、ドイツの大都市リストでは43番目に位置している。

この街はヴェストファーレン=リッペ地方連合、ルール地域連合に属し、連邦最大の上級地方裁判所であるハム上級地方裁判所の所在地である。
地理

ハムはルール地方の東、ヴェストファーレンの中心部に位置している。自然地域区分上、この街はヴェストファーレン盆地(ドイツ語版、英語版)に属している。リッペ川の北側に位置する部分はミュンスターラント(ドイツ語版)およびリッペ高地に属している。リッペタールは南の低地につながっている。南側はヘルヴェーク沃野に移行する。ハムの市街部はリッペ川の北岸および南岸に広がっている。リッペ川は東から西に向かって、約 31.665 km にわたって市の中心部を貫いている。内市街の東で支流アーゼ川(ドイツ語版、英語版)がリッペ川に左岸側から合流する。この川は市内で2番目に大きな川である。その流路は1913年に内市街の西部から東に移され、そこでは現在クアパークに潜管が設けられている。これはアーゼ川の水をダッテルン=ハム運河を用いてリッペ川に流すものである。市域内の天然の最高地点はリッペ高地南東部でボックム=ヘーフェル地区北西部の「イン・デア・ゾンマーブレー」通り沿いの海抜 100.5 m 地点である。市域の外側数メートルの場所に、これよりも高いクリッカー・ベルクとホムベルクがある。アーレンからオルフェンまでリッペ川の北側には山が連なっている。南岸では、リッペ低地はヘルヴェーク沃野に緩やかに上って行く。人工の最高地点は、ボタ山キッシンガー・ヘーエの海抜 112.3 m である[4]。ハムの最低地点である海抜 37.7 m の「アム・ラウスバッハ」はリッペ川南岸にある。市境の距離は 104.0 km である。市の広がりの最大値は、南北 18.2 km、東西 21.9 km である。
市の構成ハムの都市管区配置図

市域は、ハム=ミッテ、ハム=エントロプ、ハム=リーネルン、ハム=ペルクム、ハム=ヘリンゲン、ハム=ボックム=ヘーフェル、ハム=ヘーセンの7つの都市管区 (ドイツ語: Stadtbezirk) からなる。それぞれの管区は、管区の住民による選挙で選ばれる19人の管区議会を有している。管区議会はその構成員の中から管区の代表者で議長を務める管区責任者 (ドイツ語: Bezirksvorsteher) を選出する。

自治体行政の分散を図る観点から、ハムは住民共同体 (ドイツ語: Burgerkommune) を形成している。

統計上の目的から、都市管区は、いわゆる「統計管区 (ドイツ語: statistische Bezirke)」さらに「建設ブロック (ドイツ語: Baublocke)」に細分される。統計管区は2桁の番号と固有の名称で識別される。都市管区とそれに属す統計管区は以下の通りである[5][6]

ハム=ミッテ: シティー、イネンシュタット=ジュート、イネンシュタット=オスト、ジューデン・エストリヒ・デア・ヴェルラー・シュトラーセ、ジューデン・ヴェストリヒ・デア・ヴェルラー・シュトラーセ、ヴェステン・ネルトリヒ・デア・ランゲンシュトラーセ、ヴェステン・ジュートリヒ・デア・ランゲンシュトラーセ、バーンホーフ・アインシュリースリヒ・オルツギューターバーンホーフ

ハム=エントロプ: クアパルク、マルク、ブラーム、ヴェリース、ガイテ、オストヴェネマール、ノルトディンカー、フェッキングハウゼン、フリーリングハウゼン、エントロプ・オルツケルン

ハム=リーネルン: ベルゲ、ヴェストテュネン・ヴェストリヒ・デス・ハイデヴェークス、ヴェストテュネン・エストリヒ・デス・ハイデヴァークス、リーネルン・オルツケルン、オストテュネン、フライスケ、オステーフリーリヒ、ヴァムベルン、アレン、ジュートディンカー

ハム=ペルクム: ヴィーシャーヘーフェン/ダーベルク、ローアウザーホルツ、ゼルミゲーハイデ/ヴェートエルト、ツェッヒェンジートルング、ハリングホルツ、ペウクム・オルツケルン、ヴェスターハイデ、レルヒェ

ハム=ヘリンゲン: ヴェステンフェルトマルク、オストフェルト、ハイトホーフ、ヘリンゲン・オルスケルン、ノルトヘリンゲン、ヘリンガー・ハイデ、ザントボーフム

ハム=ボックム=ヘーフェル: ノルデンフェルトマルク=ヴェスト、ヘーフェル=ミッテ、ヘーフェル=ノルト、ヘーフェル=ラートボート、ボックム、バルゼン、ハム=ノルデン、ホルゼン、ガイネッゲ、フリーリック

ハム=ヘーセン: ノルデンフェルトマルク=オスト、マッテンベッケ、ツェヒェ=ザクセン、ヘーセナー・ガルテンシュタット、ヘーセナー・ドルフヴェストフーゼン、ダスベック、フリーリック

隣接する市町村

以下にハム市に隣接する市町村を、東から時計回りに列記する。

リッペタール (5.7 km)、ヴェルヴァー (19.4 km)、ヴェルル (8.1 km)(以上、ゾースト郡)、ウナ (0.3 km)、ベーネン (19.3 km)、カーメン (2.4 km)、ベルクカーメン (5.7 km)、ヴェルネ (14.0 km)(以上、ウナ郡)、アッシェベルク(ドイツ語版、英語版) (5.2 km)(コースフェルト郡)、ドレンシュタインフルト (9.0 km)、アーレン (14.9 km)(ともにヴァーレンドルフ郡

かっこ内の数値は各市町村との市境の長さである。ハムの市境の総延長は 104 km である[7]

最寄りの大都市には、市境の北約 34 km のミュンスター、南西約 30 km のドルトムント、南約 43 km のハーゲン、東約 64.5 km のパーダーボルン、北東約 62 km のビーレフェルトがある。
歴史
市史
市の創設から宗教改革までハムの城山

ハムは、1226年灰の水曜日マルク伯アドルフ1世(ドイツ語版、英語版)が建設し、都市権を授けた計画都市である。ハムの創設は、マルク伯領を軍事的にも経済的にも強化し、それによって統一された権力を形成することを目的とした、この伯家による一連の都市建設の始まりであった。都市建設の誘因は、ヴェストファーレンの世俗の貴族と、教会を世俗の影響から解放しザクセン公領から分離したヴェストファーレン公領(ドイツ語版、英語版)の強化を目論むケルン大司教エンゲルベルト1世(ドイツ語版、英語版)との間の紛争であった。部分的には密接な血縁関係にある敵対者間の緊張は、大司教が血縁者のアルテナ=イーゼンベルク伯フリードリヒ(ドイツ語版、英語版)の追従者グループによって殺害されたことで頂点に達した。これによりフリードリヒは帝国アハト刑となり、最終的にはケルンで処刑された。彼の所領、城、ニーンブリュッゲ市は、懲罰処置の一環としてマルク伯アドルフ1世によって取り壊された。イーゼンベルク家の後継者はこれを自分の物にしようと努め、共通の本家であるアルテナ=ベルク家の所領は安堵された。ニーンブリュッゲ市の住民にもリッペ川を数百メートル遡った場所に新たな土地が提供された。ニーンブリュッゲ市の遺構は、建築資材として利用された。こうして東の、アーゼ川がリッペ川に合流する地点に形成された岬に "tom Hamme" あるいは "Ham" という名前の新たな集落が建設された。これは、そこにあった古い耕牧地 "Ham" にちなんだものであった。名称は時代とともに変化し、現在のスペル "Hamm" となった。


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