この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2013年3月)
ハマカーン
メンバー浜谷健司
神田伸一郎
結成年2000年
事務所キーストンプロ→ケイダッシュステージ
活動時期2000年 -
出会い東京農工大学柔道部
芸種漫才、コント
ネタ作成者両者
現在の代表番組アッコにおまかせ
なるほどプレゼンター!花咲かタイムズ
テイバン・タイムズ
金バク!
南関競馬マガジン
ole!アルディージャ
オールスター後夜祭
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
ラジかるッ
キャラ☆キング
バイキング
NHK高校講座『生物』
ハマ3
つば九郎タイムス
真麻のドドンパッ!
テレビシャカイ実験 あすなろラボ
テイバン.tv
七人のコント侍
アメシブ?ギリギリランキング?
今週のスポットライト
シニアのためのシニアバラエティ『ババカ??ン』
パチの極み!パラダイスホールジャンバリ
Let'sクライミング
タモリ倶楽部
桜塚ヤンキース
同期オードリー
ナイツ
ピース
平成ノブシコブシなど
公式サイト公式プロフィール
ハマカーンは、ケイダッシュステージ、漫才協会に所属している日本のお笑いコンビ。2000年に結成。2006年8月まではキーストンプロに所属。THE MANZAI 2012チャンピオン。 浜谷 健司(はまたに けんじ、1977年11月19日 - )(46歳)
メンバー
ツッコミ担当(以前はボケ担当だったが現在もボケることがある)、立ち位置は向かって左。
埼玉県入間市出身。血液型O型。身長174 cm。体重71 kg。
入間市立黒須中学校卒、私立狭山ヶ丘高等学校卒、東京農工大学工学部電子情報工学科 応用物理学コース卒、同大学院中退[1]。
視力が悪く、コンタクトレンズを使用していることを自身のブログなどで明かしている。
眉毛について、形(「ハ」の字)は父親から、濃さは母親からの遺伝だという[2]。
衣装はジャケットを省いたスーツ姿が基本。
「強くなりたきゃパンを食え」(自分たちの著書のタイトルにもなっている)、「ギャンブルする奴には金を貸す」などの“名言”がある[3]。
芸人仲間らでのグループとして、「浜谷塾」(メンバーは同じ事務所の後輩コンビ、トム・ブラウンら)、「下衆会」(メンバーはキーストンプロ時代の同僚のハイスパットら)がある[4]。
音痴[5]。またリズム感がなく、手拍子が音楽とどんどんずれていく性質を持つ。
柔道二段、黒帯所有。『炎の体育会TV』(TBSテレビ)の芸人最強軍として計4回参戦している。接待柔道ができる[6]。
昆虫に詳しい。一押しの昆虫はツノゼミ
ギャンブルを好み、パチンコ・パチスロを主に行っていたが[8]、競馬にも熱中している[9]。そのため、しばしばネタにも騎手の名前などが登場するようになった。
2013年7月28日に渡辺正行のマネージャーと入籍[9]。
将来的には、本業を役者業、保険で漫才をすることを目標としている。
神田 伸一郎(かんだ しんいちろう、1977年3月12日 - )(47歳)
ボケ担当(以前はツッコミ担当だったが現在もツッコミをやることがある)、立ち位置は向かって右。
インドネシア・ジャカルタ生まれ。神奈川県川崎市育ち。血液型O型。身長172 cm。体重61 kg。
川崎市立住吉中学校卒、私立桐光学園高等学校卒、東京農工大学農学部応用生物科学科卒、同大学院(生物制御科学科植物病理学研究室)中退[1]。
3人姉弟の第二子で姉は神田うの。弟の昇二郎は元俳優(現在は会社員)。
レーシック手術をしたため、2006年から伊達眼鏡をかけて舞台に出ている[10]。
2011年8月に膝の手術をした。このためハマカーンはこの年のキングオブコント予選にはエントリーしなかった。また、学生時代、浜谷とともに柔道部だったが、この手術をきっかけに柔道をやめた。
現在は料理が趣味で、料理に使う野菜をベランダで育てている[11]。また、姉の影響で美容やスイーツなどの情報を良く知っている。また、フェイスパックやゲルマニウムローラーを愛用するなど、神田の美意識の高さは漫才で度々ネタにされている。
父が東京大学卒業のエリート官僚でかなり裕福な家庭で育ち、両親や祖父母にも大変可愛がられて大事に育てられたため、良くも悪くも若干世間とのズレがある。基本的には姉のうのと同じく、ゆっくりマイペースに喋り、誰のことも好きであるが、それ故に浜谷がドッキリで「仲の良い芸人の悪口を言う」という事に物凄いショックを受けてしまい、ドッキリとバラされても、「浜谷が悪口を言うやつ」という印象が1ヶ月ほど抜けず、浜谷を本気で嫌いになったことがある。
20歳前後の頃、上記の通り通商産業省キャリアであった父の赴任に母とともに同行しウィーンに在住していた時期がありドイツ語が話せ、公式プロフィールにも「特技・(のひとつとして)ドイツ語」と掲載。ただし、2012年時点で自身のTwitterでドイツ語の会話が所々しかわからなくなっていたというツイートしている[12]。
絵が上手く、隔月で行っているトークライブのアンケート用紙には毎回本人たちの似顔絵などイラストが描かれている。
同じ事務所の後輩であるヘラクレス(現在は解散)と仲がよく、井上和則、沢田純平との3人で「神田王国」なるチームを形成している。“地位”の位置づけは神田が国王、沢田が大臣、井上は平民。2012年10月26日3人で「神田王国?舞踏会?」と題し漫才・コント及びトークや企画を盛り込んだライブを行った[13]。
かつて「フィギュアフォーレッグロック」というバンドを組んで活動していたことがあった。バンド名は足4の字固めのこと。メンバーは他に岩崎一則(Hi-Hi)、ササキ ユーキ(ねじ)ら[14]。
大の酒好きで酒も強い。ただし、2011年ごろに痛風の兆候があらわれて以降はビールを多少ひかえている[15][16]。
芸人を始めたてのとき、神田うのの弟という事で注目されるのが嫌で、公表していなかった。親しい芸人にだけは教えていたが、当時東京スポーツに連載をもっていた山田ルイ53世(髭男爵)からのリークで同紙に記事が出てしまった[17]。それ以降は、うのとハマカーンが一緒に仕事をすることも多くなり、うののブログにハマカーンに関する記述もされるようになった。
2018年2月2日、結婚[18]。2019年3月、沖縄県で挙式[19]。
将来的には、本業でカフェ経営、趣味で漫才をすることを目標としている。
略歴
先輩である神田が、同じ柔道部に所属していた浜谷を誘い2000年1月にコンビ結成。
1999年10月、結成のわずか前に東京・中野のライブハウス「studio twl」で行われたライブ「アフロシアター」で2人で初舞台[20]。
2005年、NHK新人演芸大賞演芸部門本戦出場。
2006年、M-1グランプリで準決勝進出を条件にキーストンプロからケイダッシュステージへ移籍した。
2007年、第5回お笑いホープ大賞準優勝。
2008年、M-1グランプリ準決勝進出[21]。
2009年、R-1ぐらんぷり2009 2回戦出場(浜谷のみ:浜谷けんじ名義)
2009年、第8回漫才新人大賞 大賞受賞[注 1]。
2009年、M-1グランプリ準決勝進出[22]
2010年、R-1ぐらんぷり2010 2回戦出場(浜谷のみ:はまたに名義)
2010年、キングオブコント準決勝進出
2011年、R-1ぐらんぷり2011 1回戦出場(浜谷のみ:はまたに名義)
2011年、THE MANZAI 2011 予選サーキットランキング3位で決勝に進出、決勝Bブロック4位。
2012年、キングオブコント準決勝進出[23]
2012年、THE MANZAI 2012 予選サーキットランキング5位で決勝に進出、決勝Aブロックを1位で通過し、優勝[24]。
2013年、ブレイクタレントランキングで浜谷が2位、神田が4位につけるなどブレイクを果たす。
2014年、阪神電気鉄道のCM、「阪神沿線物語」に出演。
2019年、「年を取っても漫才をずっとできる環境を考えたら漫才協会、劇場を持っていない事務所に所属しているので、こうして浅草で定期的に客前に立つっていうのは漫才師にとっては非常に大事なこと」であるとして、漫才協会に加入する[25]。
ネタ
主に漫才を行っている。ハマカーン単独ライブ等ではコントをメインとすることもあるが、いわゆる正統派のしゃべくり漫才を主流としている。