Y染色体 DE 系統
系統祖DE-M203
発生時期70,000-75,000年前
またはCF
ハプログループDE(Y染色体)(ハプログループDE (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup DE (Y-chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体のハプログループの分類で、YAPと呼ばれる特徴的な約300塩基を余分に持つことで知られ、ハプログループDとハプログループEの共通祖にあたり、M203に代表される分岐指標を持つ集団[6]。 Y染色体における研究の歴史の中で、Y染色体の非組換え領域である長腕部の「DYS287 Yq11」に約300塩基が余分に追加されているものと、その約300塩基が無いものが発見されたことは大きい[6]。これはY染色体のAlu配列であったため、YAP(ヤップ、Y-chromosome Alu Polymorphism)Alu配列(Alu
概略
YAPの発見
YAPは古代の一人の男性に起きた変異の痕跡であるため、これをもとに世界人類のY染色体を2つのグループに大別することが提案され、YAP配列があるものを「YAP+(ヤップ・ポジティブ)」、YAP配列がないものを「YAP-(ヤップ・ネガティブ)」と分類したところ、白人、黄色人種をふくめ世界中の殆どの民族がYAP配列を持たない[7]「YAP-(ヤップ・ネガティブ)」であったのに対し、黒人の大多数と日本人、チベット人の多くは「YAP+(ヤップ・ポジティブ)」であった[8]。そのため、「YAP+(ヤップ・ポジティブ)」の黒人、日本人、チベット人は父系の遺伝子的要素が近親である可能性が指摘され、アフリカ単一起源説が裏付けられたのと同時に、このYAPを分岐指標(マーカー)として人類の男性系統を辿る研究が開始された[6]。そのため、このYAPに対して「M1(マーカー・ワン)」と名付けられた。またこれに伴い、Y染色体上にある特徴的な変異の痕跡に対して「M2、M3、…」と番号が振られた。さらに、これらをもとに各民族から得られた変位の痕跡の傾向を、古い変異と思われる順に「A、B、C、D…」とアルファベットが振られ、Y染色体ハプログループ研究の基礎を成すことになった[6]。 YAPの痕跡を持つ日本人、チベット人のグループのうち一塩基多型(SNP)でCTS3946の変異を持つものをハプログループD、M96の変異を持つ黒人のグループをハプログループEと命名し、D系統とE系統に共通して含まれるM203がDE系統を定義する分岐指標とされた。CTS3946とM96の変異をもたず、「M203」の変異の痕跡をもつグループに対しては「ハプログループDE」と呼ばれる。日本の研究によって発見された「IMS-JST008425」や復旦大学によって発見された「F1977」もこの「M203」と同一階層上にある一塩基多型(SNP)であるため、学術論文などを読む上においては現時点では、これらは同等の意味を持つと考えてよい[9]。 現生人類の共通祖先発祥の地、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に7.6?7万年前[10] に住んでいた一人の男性(俗称: YAPアダム)にこの変異が起こり、これが父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「YAP(M1)」と呼ばれる分岐指標を持つハプログループDE系統を生み出し、その後、今から6万年程前にこれが更に2つ集団(ハプログループ)DとEに分岐した。 さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[3]。ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。アフリカに留まりアフリカ大陸全土や一部は地中海地域やヨーロッパなどに父系を通じて広がった集団がハプログループEとハプログループD2であり、分岐後出アフリカを経て東方に向かい、チベット・アンダマン諸島・ヤオ族・フィリピンのマクタン島・グアム島・日本列島[11] などに父系を通じて広がったのがハプログループD1である。 またDEの子型でD系統にもE系統にも属さないパラグループDE*がチベット人[12]、ナイジェリア[13]、ギニアビサウ[14] でごくわずかに発見されているが、このうちナイジェリアのサンプルについてはハプログループD0(後にD2に名称変更)であることが判明し[3]、上述のようにハプログループDが既にアフリカにおいて発生していたことが示された。
ハプログループの命名
起源系統図(Underhill and Kivisild 2007[4] に基づく)
なお、ハプログループDEは系統樹からも分かるように、全ユーラシア人の最近共通祖先であるハプログループCTから早期に分岐したため、他のユーラシア系統とは分岐から7万年以上もの年月を経ている。