ハプログループ D1b (Y染色体)
推定発生時期35000-40000年前[1]
推定発生地日本
親系統D
定義づけられる変異M55, M57, M64.1, M179, P37.1, P41.1, P190, 12f2b, Z3660
高頻度民族・地域日本列島(アイヌ、琉球民族、大和民族)
ハプログループDの移動想定経路
ハプログループD-M55 (Y染色体)(ハプログループD-M55 (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup D-M55 (Y chromosome))とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類のうち、ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、「M55」[2]の子孫の系統である。3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割[3]がこのハプログループに属している。従来はハプログループD2と系統名称で呼ばれていたが、2014年5月23日、ISOGGの系統樹が更新されたことにより、本項目で語られている内容の系統名称はハプログループD1bと改訂されている。 ハプログループD1b(D-M64.1)は、日本列島で観察される。日本人の約32%[4]~39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1bは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]。 東アジアの他地域ではD1bの姉妹型D1aがチベット人の最大49%、ヤオ族の30%観察される。さらにD1の姉妹型のD2が台湾やフィリピンのマクタン島で見つかっている。D1にもD2にも属さないD*はアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[8]を占め、マリアナ諸島のグアム島で島民の17%にみられる[9]。 現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生後、Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBの系統と、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループとに人類は分化していった。後者の中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。これがハプログループDとハプログループEの親グループである、ハプログループDEである。 ハプログループDEは、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上し、約6万年前頃にアルタイ-チベット近辺でハプログループDEからハプログループDが誕生したと推定される。[11] ハプログループDのうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1bであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1aである[12]。アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1bが誕生した」とする説を唱えた[13]。崎谷満はハプログループDが華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1bが誕生したとしている[14]。 当時無人の日本列島に到達したハプログループD1系統は、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。中国大陸から弥生人が日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1の中からハプログループD1bが誕生したと考えられる。彼らは縄文人として、彫りの深い顔、濃い髭、二重まぶたの特徴を持ち、主に浅瀬で漁をして生活をし、のちにはO系統などの弥生人と融合し、陸稲を栽培していたと考えられる。 日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や沖縄に多い。 (Hammer et al. 2006[15])
目次
1 概略
2 歴史
2.1 日本へ至るまで
2.2 日本到達以降
3 各地における頻度
4 縄文人の古代DNA
5 系統樹
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概略
なお、D1b系統とこれらの他のハプログループDのサブクレードとは概ね4万年以上の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。しかし、その時間的距離にも関わらず、D1a系統は日本列島からも検出されているため日本人と無関係とは言えない[10]。特に、チベット周辺の中央アジアからごく少数ではあるが、何度か日本列島へこれらの遺伝子を持った人々が移住してきた証拠であり、周囲を海に囲まれていたにもかかわらず交流があったことが近年判明している。[要出典]
歴史
日本へ至るまで
日本到達以降
各地における頻度
青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%
Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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