ハプスブルク家
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「ハプスブルク」「ハプスブルグ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ハプスブルク (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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出典検索?: "ハプスブルク家" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年4月)

ハプスブルク家
Habsburg
帝国王朝
ハプスブルク家の紋章
ハプスブルク帝国
オーストリア大公国
ハンガリー王国
クロアチア王国
ボヘミア王国
 神聖ローマ帝国
ハプスブルク・スペイン
ハプスブルク領オランダ
ポルトガル王国
ナポリ王国
シチリア王国
主家エティション家
創設11世紀
家祖ハプスブルク伯ラートボト
最後の当主マリア・テレジア
現当主カール・ハプスブルク=ロートリンゲン
断絶1780年11月29日
民族ドイツ系アルザス人
分家父系:
スペイン・ハプスブルク家(断絶)
ハプスブルク=ラウフェンブルク家(ドイツ語版)(断絶)
キーブルク家(断絶)
母系:
ハプスブルク=ロートリンゲン家
標語:A.E.I.O.U
ハプスブルク家の旗

ハプスブルク家(ハプスブルクけ、ドイツ語: Haus Habsburg、スペイン語: Casa de Habsburgo)は、オーストリア家( : Haus Osterreich、西: Casa de Austria)とも呼ばれる、ヨーロッパの歴史上最も著名で重要な王朝の一つである[1][2]

ハプスブルク家の名前は、1020年代にクレトガウのラートボトによって現在のスイスに建てられた要塞、ハプスブルク城に由来する。彼の孫であるオットー2世は、この要塞の名前を初めて自分のものとし、その称号に「ハプスブルク伯爵」を加えた。1273年、ラートボト伯爵の7代目の子孫であるハプスブルク家のルドルフローマ王に選出された。バーベンベルク家の消滅と、1278年のマルヒフェルトの戦いでボヘミア王オタカル2世に勝利したことを機に、息子たちをオーストリア公家に任命して一族の権力基盤をウィーンに移し、ハプスブルク家は「オーストリア家」の名を得て、1918年まで統治することになった。

神聖ローマ帝国の王位は、1440年から1740年に男系が絶えるまで、フランツ1世の死後は1765年から1806年の解散まで、ハプスブルク家が継続して占有している。ハプスブルク家は、ボヘミアハンガリークロアチアスペインポルトガルガリツィア・ロドメリアとそれぞれの植民地の王、低地とイタリアの諸公国の支配者、19世紀にはオーストリアとオーストリア=ハンガリー皇帝メキシコ皇帝1人を輩出している。16世紀半ば、カール5世の退位に伴い、スペインとオーストリアに分かれ、別々の領土を治めたが、両家は密接な関係を保ち、頻繁に婚姻を繰り返した。

ハプスブルク家の人々は、金羊毛騎士団と聖ゲオルギオス王立騎士団のオーストリア支部を統括している。現在の当主はカール・フォン・ハプスブルクである。
呼称

家名の「Habsburg」は、ドイツ語ではドイツ語発音: [?ha?psb??k](ハープスブルク)と発音される[注釈 1]。ただし日本では慣用表記・読み方であるハプスブルクが多く使われる。スペイン語ではアブスブルゴ家(Casa de Habsburgo)、フランス語ではアブズブール家(Maison de Habsbourg)となる。ルドルフ1世以来オーストリアを本拠としたことから、スペイン系を含めて「オーストリア家」(ドイツ語:Haus Osterreich, スペイン語:Casa de Austria, フランス語:Maison d'Autriche)とも呼ばれる[注釈 2]1915年の4ダカット金貨フランツ・ヨーゼフ1世の肖像(左)。ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲(右)の2つの頭は東と西を現すとされ、王冠をかぶった鷲が東西を見渡す様を示している
主な君主位

神聖ローマ皇帝(断続的に1273年 - 1806年)、ドイツ国王[注釈 3]ローマ王[注釈 4]

オーストリア君主オーストリア公として1278年 - 1453年、オーストリア大公として1453年 - 1806年/1918年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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