(国旗)(国章)
国の標語: Dum spiro spero
(エスペラント : 息をする限り、希望を持つ)国歌: It's a Hard Land
公用語英語
首都ネーン
公爵
1970年 - 2019年レオナード1世
ハット・リバー公国(Principality of Hutt River)は、レオナード・ケースリー(英語版)が独立国と主張していた、オーストラリア大陸西部の広大な小麦畑を中心とした地域である。
歴史ハット・リバー公国の地図。
1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した[2]。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた[2]。
ケースリーは「販売量割当の修正または2万オーストラリア・ドルの補償金が支払われない場合、オーストラリアから独立する」と西オーストラリア州政府に最後通告するが、これに対する返答が得られなかったため、1970年4月21日に自身が所有する75平方キロメートルの土地を「ハット・リバー公国」としてオーストラリアからの独立を宣言した[2]。