ハッスル_(プロレス)
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ハッスルエンターテインメント株式会社
Hustle Entertainment Co., Ltd.
種類株式会社
本社所在地 日本
102-0022
東京都港区海岸1-14-24
SUZUE竹芝第3倉庫2階
設立2006年12月18日
業種サービス業
法人番号4010001119017
事業内容プロレス興行
関連企画の運営
代表者代表取締役社長 山口日昇
外部リンク ⇒ハッスル公式サイト
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ハッスルは、日本プロレスプロモーション
概要

PRIDEを主催していたドリームステージエンターテインメントプロレスリングZERO-ONEが手を組み、既成のプロレスとは一線を画したファイティング・オペラと位置付ける新しいスタイルの興行として始められた。

2004年1月4日、さいたまスーパーアリーナ メインアリーナで旗揚げ戦を開催してメインイベントの小川直也ビル・ゴールドバーグ戦が話題を呼んだ。

初期の頃は、全日本プロレスも協力して三冠ヘビー級選手権試合が行われた。その後、ZERO-ONEの崩壊により事実上の後継団体であるプロレスリングZERO1-MAXを運営するファースト・オン・ステージとドリームステージエンターテインメントにより運営されて来た。2005年のハッスル・マニアからDSEとパチンコメーカー「京楽産業.」と業務提携を結んで以後、2009年7月までハッスルは京楽を冠スポンサーとして開催[1]

2007年4月、新たに運営会社として「ハッスルエンターテインメント株式会社」が設立された。同社には出版社のエンターブレインが資本参加し、同月以降の大会はDSEに代わって同社によって運営が行われてきたが、2009年秋以降、同社の資金難が表面化し、10月に行われた『ハッスル・ジハード2009』を最後に一時興行を休止。一時はFOSの協力を得て興行を再開したが、2010年7月に新団体『ハッスルMAN'Sワールド』が設立され、ハッスルエンターテインメント社は休眠することとなった(詳細は後述)。
概略

従来、キャプテン・ハッスルとして小川直也が率いるハッスル軍と、高田総統が率いる高田モンスター軍との抗争を中心とするストーリーが展開されていた。半世紀を超える日本のプロレス史の中でも特異に多彩なアングルギミックを展開して、ユニークな容姿や性格のレスラーが多数登場し、また、芸能人や著名人がレスラーとして登場するなど、高いエンターテイメント性を追求するスタイルの興行を行っている。

また、試合形態も多岐にわたり、試合中に怪しげな音楽が流れる中試合をしたり、歌唱力を競い観客にジャッジを求めたり、フードファイターとプロレスラーが大食い対決をする「食えんのか!!(「やれんのか! 大晦日! 2007」のパクリ)」、巨大なスロットで大当たりが出るとミルコ・クロコップが助っ人として現れたり、マーク・ハントがパンチ1発で形勢逆転の助っ人として現れたり、試合中に、ほしのあきが胸を強調してリングに登場したりとバラエティ豊かである。

「ファイティング・オペラ」と称するギミック満載の派手な演出、有料放送の視聴者を意識したカメラワーク、マイクパフォーマンスの重要性、興行までの仕掛けなどは、WWEを参考にしながら練られていた部分もある。しかしながら、2005年のハッスルマニアあたりからWWEでも行われていないような新機軸を打ち出し始め、国内の団体では実券の販売ではトップとなった。また、サラリーマン、OL、家族連れが非常に多いのも特徴であるとともに、既存のプロレスでは飽き足らないファンやPRIDEから流れてきた総合格闘技ファンもいるなど多様な客層が特徴であった。
歴史
前史

2002年、ボブ・サップのブレイクを背景に格闘技イベントK-1全日本プロレスが手を組んでプロレスイベントのファンタジーファイトWRESTLE-1を開始した。これにPRIDEDSEが運営協力しており、同社の関連会社がアメリカ人の著名なプロレスラーのビル・ゴールドバーグと7試合の契約を結んでWRESTLE-1と全日本プロレスに参戦させていた。ところが、2003年にK-1とPRIDEが仲違いを起こし、ゴールドバーグの契約が未消化で残った。かねてからプロレスイベントをやる構想を『紙のプロレス』編集長の山口日昇と語り合っていたDSE代表の榊原信行がこのゴールドバーグの契約に未消化分があることをきっかけとして、同年6月頃から高田延彦ZERO-ONE小川直也橋本真也といったプロレスラーや元プロレスラー、ZERO-ONE専務の中村祥之といったフロントと話し合い、協力体制の元でハッスルを立ち上げることになった[2]
旗揚げ後

2003年12月4日、ハッスル1開催発表会見の席上で、PRIDE男祭りの4日後(2004年1月4日)の開催ということで大丈夫か?(選手の体調面〈ケガなど〉は問題ないのか)という記者の質問に、DSE代表の榊原信行が「プロレスということなんで大丈夫です!」という発言(PRIDEという格闘技に対してプロレスはPRIDEほどのダメージは無いという、プロレスを蔑んだ言い方)をして小川が机を投げ飛ばして食ってかかったことでハッスルのストーリーは始まった。その後、橋本真也と共にPRIDE男祭りに登場して高田延彦に宣戦布告、PRIDE戦士を集めたハッスル高田軍対小川直也・橋本真也+ZERO-ONE連合軍の構図で立ち上がった。(ハッスル1開催直前に高田延彦がアメリカでゴールドバーグと接触し、小川や橋本が先述のDSE榊原に食ってかかったシーンに対するコメントとゴールドバーグと向かい合い上腕部をクロスさせ2人で「ハッスル1」と叫ぶ決めポーズがプロモーションビデオで上映された(そのビデオ内で高田は橋本のことをポーク、小川のことをチキンと呼んでいた)。

ハッスル1(2004年1月4日、さいたまスーパーアリーナ)は毎年恒例となっていた新日本プロレス東京ドーム大会と同日に開催したことで、反発を呼んだ。

内容面でも格闘技色の強い試合を行ったり、WRESTLE-1の色合いを残すなど方向性が定まらなかった[3]。しかし、ハッスル2(2004年3月、横浜アリーナ)以降は日本プロレス界を壊滅すべく強力な刺客たち=高田モンスター軍を次々と送り込む高田総統が登場。それに対し、キャプテン・ハッスル(小川直也)、ハッスル・キング(橋本真也)、ハッスルK(川田利明、その後モンスター軍へ加入し、モンスターKと命名)を中心とするハッスル軍が登場する。彼らが苦しみながらもこれに立ち向かっていく、という後のストーリーが軸となる基本路線が確立された。
ドリームステージエンターテインメント体制

2004年6月4日、笹原圭一がゼネラルマネージャーに、臼杵彩子がパブリックリレーションに就任して以降(ハッスル4以降)は、事前の記者会見等で抗争や因縁が勃発、それをハッスル・ハウスで発展させ、ナンバーシリーズで決着させるという三幕構成が定着した。

この頃は小川直也がPRIDEヘビー級グランプリに参戦し、ハッスルポーズを披露したこともあって、ハッスルのブランドは世間一般に認知していった。また、『アサヒ芸能』誌で「ハッスル2」の流出した進行台本(勝者やマイクパフォーマンスの言葉が記載)が掲載されるという事件が起こったが、続く「ハッスル3」の煽りで専務(当時)の中村が白紙の台本を持ってスキットに参加し、スキャンダルのアングル化を行った。

一方で、ゼネラルマネージャーとPRの入れ替えも行われ、2005年4月19日には臼杵PRと入れ替わる形で岸本PRが2代目PRを襲名し、2005年『ハッスル・ハウスvol.9』で行われたハッスル総選挙にて草間政一が勝利して草間GMが誕生した。その年の『ハッスル・ハウスクリスマスSP』でのVTRにて入れ替わるかたちで鈴木浩子がゼネラルマネージャーに就任し、2006年に鈴木浩子のGM退任に伴いRGをGMに推薦するなど、リング内外でストーリーは展開した。

2005年11月3日、横浜アリーナで開催された「ハッスル・マニア2005」では、狂言師の和泉元彌、タレントのレイザーラモンHGの参戦が話題を呼び、連日ワイドショーなどで報道されて一気にブレイクし、満員の観衆を集めることに成功した。しかし、2006年6月、フジテレビドリームステージエンターテインメントとの契約を解除したことで、ハッスルは危機を迎える。当初地上波放送される予定であった「ハッスル・エイド2006」は放送中止になり、「ハッスル・エイド2006」以降興行クレジットから東海テレビが外れている。2006年6月17日には、地上波放送中止になったものの、予定通り「ハッスル・エイド2006」(さいたまスーパーアリーナ)は開催され、「ハッスルで地球を救え!」を合い言葉に骨髄移植推進財団らとの協力で骨髄移植のドナー登録を呼び掛けた。
高田モンスター軍のハッスル支配

2007年、高田モンスター軍が100億モンスタードルでハッスルを買収したことにより、ハッスル軍の残党狩りが始まった。“キャプテン・ハッスル”としてハッスル軍を牽引してきた小川直也が高田モンスター軍に加わるというサプライズが起こったり、旧ハッスル軍の主力メンバーが高田モンスター軍に引き抜かれてしまったため、ハッスル軍はわずか4名(HG、RG、KUSHIDA、\(^o^)/チエ)という壊滅状態に陥ったが、坂田亘らが協力するかたちで新生ハッスル軍は誕生し、新生ハッスル軍と高田モンスター軍との抗争が再び展開された。

5月1日、ハッスルエンターテインメントがそれまで運営していたドリームステージエンターテインメント(DSE)から権利譲渡を行ったことで、ハッスルは新体制の中でイベントが行われた。ハッスルを手掛けた旧DSEスタッフがハッスルエンターテインメントに移籍したことでスムーズに新体制へ移行できたが、笹原らPRIDEを手掛けたスタッフがPRIDE FC WORLDWIDEへ移籍したことで旧DSEは2つに分かれる格好となった。K-1との冷戦が終了したことで、K-1関連の用語が解禁され、月2回の興行開催、浜名湖競艇との提携やさまざまな企業のスポンサーがつくようになった。

また念願だった地上波進出にも成功して、「ハッスル・マニア2007」でようやく叶うことになった。2007年12月31日には、ハッスルでは初めて大晦日興行が行われ、「大晦日!ハッスル祭り2007」(さいたまスーパーアリーナ)を時間差放送したテレビ東京は、視聴率において万年最下位脱出に成功した。因みに、最下位は皮肉にもフジテレビであった。

2008年7月、大変革が行われ、ナンバーシリーズとハウスシリーズを統合したハッスル・ツアーを開始し、同時に『ハッスルGP 2008』が開幕した。また日本HUSTLE化計画が行われ、コンビニエンスストアローソンからカレーパンなどの商品が発売されたり、夏の江ノ島でのイベントや全国の自動車教習所などで試合が行われたり、8月にハッスル初のディナーショーが行われた。10月と11月には、北関東(栃木県茨城県)での興行が行われ、栃木県から公式に県旗などの貸し出しがなされている。

12月30日、再び大晦日興行が行われ、ハッスル祭りがハッスル・マニアに吸収されるかたちで「大晦日!ハッスル・マニア2008」を開催。翌日(12月31日)にテレビ東京系列で放送されたが、前年と異なり当日放送ではなかったこと、「NHK紅白歌合戦」の2部が40%越えを記録したことなどが要因となり、前年視聴率最下位だったフジテレビの「FNS2008年クイズ!!」(生放送のクイズ番組)にも敗れ、3.4%と再び最下位に転落した。

2009年2月、ギャラの未払い分の支払いを求めて、インリン・オブ・ジョイトイ側がハッスルを提訴。このインリンの提訴がきっかけとなって、ハッスルの資金難が表面化した[4]

7月26日、「ハッスルエイド2009」において、高田総統がキングRIKIの紅のバックファイヤーを喰らい消滅。これによりモンスター軍は解散。7月30日の後楽園大会においてハッスル軍も解散を表明した。
新体制と混乱 - 大量離脱

8月15日、ハッスルによるファンイベントが神奈川・クイーンズスクエア横浜で行われ、その会場にてハッスル社長の山口日昇と、これまでのハッスル各大会をサポートし、また学生によるパフォーマンスGP「ハッスルどライヴ」[5] を主催してきたコンサルティング企業である株式会社クォンタムジャンプジャパン社長の酒井正和より、集まったファン2000人に向けて10月10日に東京・両国国技館でハッスルの新展開となる『ハッスル・ジハード2009』[6] を開催することが発表された。同時に10月10日の両国大会から酒井がハッスルの最高顧問に就任することも発表された。

8月27日、後楽園ホールでの越中詩郎デビュー30周年記念興行で酒井正和氏の社長就任も発表され、自らファンの前で挨拶を行ない、これまでのハッスルを“マンネリしたストーリー”、“山口社長の放漫経営による経営の悪化”と厳しく非難すると、「このたびハッスルの最高顧問に就任しまして、ハッスルをバージョンアップさせていくために、全力でバックアップしていきます」と宣言。さらに、『ハッスル・ジハード2009』の開催を改めてアナウンスすると、集まった観客から大きな拍手が飛び交った。

9月、RIKIが記者会見に登場した。RIKIは、「圧倒的なまでの強さと力」をマニフェストに掲げ、『ハッスル・ジハード2009』にてハッスル連合軍との勝ち抜き戦を行うためにRIKI軍団を結成することを発表した。同時に、魔界の住人であるグレート・ムタに対しても挑発した。2009年10月10日『ハッスル・ジハード2009』が開催され、RIKI軍団がキングRIKIを残してハッスル連合軍との勝ち抜き戦を制した。試合終了後、キングRIKI、マグナムTOKYO、グレート・ムタによる3WAYマッチを『ハッスル・マニア2009』にて行われることがアナウンスされた。
中止

10月28日、記者会見が行われ、年内に予定している5大会のうち、『ハッスル・マニア2009』を除いた4大会の中止を発表した。中止になった大会には、翌日に控えていた後楽園大会も含まれており、異例の記者会見となった。理由としては、翌月開催予定の『ハッスル・マニア』一本に固める意向であることと、会社の状態が非常に不安定であることが挙げられている。さらに京楽が5年契約で結んでいた冠スポンサーを7月を以って打ち切ったことも判明した[7]。この4大会の中止に加えて、ハッスルの携帯サイトも2010年1月13日をもって閉鎖することが発表された。また11月22日には唯一予定されていた『ハッスル・マニア2009』両国開催の断念が報道された。

12月8日、都内ホテルで緊急会見を開き、酒井がハッスル最高顧問を辞任して、新団体『SMASH』の旗揚げを発表した。島田裕二大原はじめTAJIRI小路晃朱里といったハッスルの主力メンバーが大量離脱した[8]。SMASHの所属選手に天龍源一郎川田利明坂田亘の名前はなかったが[9]、このうち天龍は2010年4月19日にプロレス団体「天龍プロジェクト」を旗揚げして、2011年5月20日にはSMASHと天龍プロジェクトが業務提携を結んだ。

12月23日、ハッスル事務所兼道場から荷物がすべて運び出され閉鎖された[10]
再開


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