ハッサン・アブシル・ファラ
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Hassan Abshir Farah
Xasan Abshir Faarax
??? ????? ???


連邦議会議員
任期
2012年8月20日 ? 2015年10月28日
ソマリアの首相
任期
2001年11月12日 ? 2003年11月8日
前任者オスマン・ジャマ・アリ
後任者ムハマド・アブディ・ユスフ

個人情報
生誕 (1945-06-20) 1945年6月20日[1]
ガローウェ(ソマリア)
死没2020年7月12日
アンカラトルコ
政党無所属
住居モガディシュ
出身校エジプト軍事大学(英語版)
ソマリ国立大学
職業政治家
公式サイト ⇒www.hassanabshir.net

ハッサン・アブシル・ファラ(英語: Hassan Abshir Farah, ソマリ語: Xasan Abshir Faarax, アラビア語: ??? ????? ???‎、1945年6月20日 - 2020年7月12日)は、ソマリアの軍人、政治家。2020年に死去。ソマリアの首都モガディシュ市長、プントランド内相、ソマリア首相などを務めた。
生涯
初期

ハッサンは1945年にイタリア領ソマリランドガローウェ[2]生まれた。(1943年にモガディシュで生まれたとする報道もある[3]。)所属氏族はダロッドマジェルテーン[4]。1961年から1965年まで、首都モガディシュの高校で学ぶ。1965年から1967年までカイロにあるエジプト軍事大学(英語版)で学ぶ[1]。1967年から1969年まで陸軍士官局長[1]
バーレ政権

1969年、陸軍少将のモハメド・シアド・バーレがクーデターで大統領となり、ハッサンもこのクーデターに使われた軍に属していた[2]

1970年から1971年までモガディシュ地方長官。1971年から1973年までモガディシュ副市長。1973年から1976年までモガディシュ市長。1976年から1982年までバコール州および中部シェベリ州長官。1982年から1987年までモガディシュ市長。1987年から1989年まで駐日(兼韓国)ソマリア大使[1]
ソマリア内戦後

1989年から1998年まで駐ドイツ(兼オーストリア)ソマリア大使[1]。ただしハッサンを任命したバーレ政権は1991年に崩壊し、その後はソマリア内戦となっている。

1998年からプントランドの初代副大統領[5]
ソマリア暫定国民政府

2000年のアルタ会議に出席し[6]、議長を務める[1]。アルタ会議を機会にソマリア暫定国民政府が成立する。ただし暫定国民政府は多くの軍閥の協力を得られず、実質に乏しいものとなった。それどころか有力軍閥のいくつかが結託して、暫定国民政府に対抗して2001年3月にソマリア和解再生評議会(英語版)と呼ばれる団体を設立した。1998年に独立宣言したプントランドもまた、暫定国民政府に非協力的だった。

2001年11月12日、ハッサンは大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンからソマリア首相に任命された[7]。前首相は議会から不信任案を決議されており、副首相が首相代理を務めてから2週間後のことだった。ハッサンが選ばれたのは、プントランドに独立宣言を撤回してソマリアに再編入させるのに、プントランドと縁が深いハッサンに期待したからともいわれる[7]

2002年2月1日の夜、首相の家に手榴弾が投げ込まれ、ハッサンにけがはなかったが、4名が負傷し2人が重傷を負った[8]

2002年10月、ケニアのエルドレットでソマリア和解会議が開催され、ハッサンも出席した[9]。この会議が元となり、後に暫定国民政府は廃止され、暫定連邦政府に生まれ変わることとなった。ただし暫定国民政府大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンはこの動きに不満だった。

2003年12月8日、アブディカシム大統領は首相のハッサンと議会議長のアブダラー・イサック・デーロウ(英語版)を解任し、新首相にムハマド・アブディ・ユスフを、新議長にムスタファ・グドウを選出した[10]

翌12月9日にケニアのナイロビで行われた和平会議が開かれ、大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンに加えて、暫定国民政府の代表としてハッサン「首相」とデーロウ「議長」も参加した。その会議の決議として、ハッサン首相とデーロウ議長の名で、アブディカシム大統領による首相と議長の解任は2000年のアルタ会議の合意に反するとして無効が宣言された[11]。そのため、この日以降、翌年12月に「暫定連邦政府」が成立するまで、ソマリア首相が誰であるかは曖昧である。
ソマリア暫定連邦政府

2004年12月にソマリア暫定国民政府と、対立する軍閥とが統合する形で、ソマリア暫定連邦政府が成立する。これによりハッサンは首相を正式に退任となり、12月1日に34名の閣僚の一人として[12]、水産大臣に任命される[2][1]。しかし2006年に大統領アブドゥラヒ・ユスフと首相アリー・ムハンマド・ゲーディの政争に巻き込まれて辞職[2]

2006年[1]にソマリア連邦議会議員となる(2004年[6]あるいは2012年[2]とする報道もある)。

2008年にプントランド大統領選に出馬するが[2]、選挙前に辞退し、暫定連邦議会のあるバイドアに戻った[13]

2015年10月28日に健康上の理由で議員を辞職し、息子アブシルに議席を譲った[14]


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