ハッケンサック
市
Hackensack
バーゲン郡庁舎
標語: 前進する都市[1]
バーゲン郡内の位置
国勢調査局の地図
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度53分22秒 西経74度02分45秒 / 北緯40.889398度 西経74.045698度 / 40.889398; -74.045698
ハッケンサック(英: Hackensack)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州の都市。バーゲン郡の郡庁所在地である[16][17]。人口は4万6030人(2020年)。ニューヨーク郊外に位置している。マンハッタンのミッドタウンから20km、ジョージ・ワシントン橋から12kmの距離にあり[18]、市内の多くの場所からニューヨークのスカイラインを見ることができる[18]。
フェアリー・ディキンソン大学の都市部キャンパスがハッケンサック川沿いにあり、ハッケンサック市とティーネック・タウンシップに跨っている。またニュージャージー海軍博物館が市内にあり、第二次世界大戦時の潜水艦USSリングが展示されている。宇宙飛行士のウォルター・シラーはハッケンサック出身者の中でも名高い存在である。
ハッケンサック市は多くの多様な地区と土地が互いに密接して存在していることで知られている。その領域内に著名なハッケンサック大学医療センター、約1.6km続くトレンディな高層ビルの地区、一戸建て家屋の並ぶ古典的な郊外地区、4,000 m2を越える敷地に建つ風格ある古い家屋、古い二戸建て住宅の地区、大きな庭園のあるアパート複合住宅、工業地帯、バーゲン郡監獄、潮汐のある川、ハッケンサック川郡立公園、ボーグの森自然保護地、様々な市立公園、大型のオフィスビル、大きな大学キャンパス、バーゲン郡庁舎、活発な小都市中心街地区、様々な小さな事業地区がある[19]。
設立当初は「ニューバルバドス・タウンシップ」が公式名称だったが、一般には「ハッケンサック」と呼ばれていた。1921年に市制に移行した時からその名前を公式に採用した。
歴史1896年のハッケンサック
ハッケンサックとなった地域の初期住人はアルゴンキン語族インディアンのレニ・レナペ族であり、後にはデラウェア族とも呼ばれた。「石の多い土地」を意味する「アチニグ・ハッチ」あるいは「アッキングサ・サック」と呼んだ川(現在のハッケンサック川)沿いの土地に住んだ[20]。アッキンヘンキー族の酋長オラタムの絵が、ハッケンサックの市章に使われている[21][22]。
ニューネーデルラントのオランダ西インド会社による、ニューアムステルダム(現在のロウアー・マンハッタン)とはノース川(ハドソン川)対岸である西岸への入植は1630年代のパボニアに始まり、1660年にはバーゲンの町を設立することになった(現在のジャージーシティのバーゲンスクエア)[23]。
レニ・レナペ族の酋長オラタムは、1665年にオランダにハッケンサック川中流域の土地を譲渡した。その地域は間もない1667年にイギリスに奪われたが、オランダ語の名前が残った。東ジャージー領主植民地となった所の総督フィリップ・カータレットが、ジョン・ベリー船長にアクター・コル地域の土地を払い下げた[24]。間もなくベリーはそこに居を構え、その前にバルバドスの島に住んでいたので、そこをニューバルバドスと呼んだ。1669年、オラタム酋長が使者と通訳の役目を果たしてくれたサラ・キアステッドに感謝の印として与えていた土地、2,260エーカー (9.1 km2) の権利譲渡を確認した[25][26]。